道産子エンジニア

悲観主義は気分に属し、楽観主義は意志に属する

決断

例えば、出勤するときにどうやって出勤するかということを考えたことがあるだろうか。

たいてい、「今日は寒いなぁ。電車で行こう。」とか「今日は天気がいいな。歩いて行こう。」というような自分の中ではない何かに影響されて決めていると思う。 忙しい社会人ならそんな下らないことはいちいち考えてないかもしれない。

じゃあ、もっと大きな話を考えるときはどうだろうか。 例えば、会社を辞めるとき「なんだか仕事に飽きちゃったな、辞めよう」と考える人はいないと思う。 会社の人間関係がうまくいかなくて辞める。仕事のやりがいを感じなくて辞める。もっと自分のやりたいことをやるために辞める。 もっともっと金を稼ぐために辞める。結婚するから辞める。やったことのないことしたいから辞める。 みたいに、大きなことは自分の気持ちや思考で決断すると思う。

こういう、「なんとなく決めていること」と「強い意志を持って決めていること」の違いは自分の中でどうやって決まっているだろうと考えてみる。

少し話は変わるけど、会社では若手が成長することをみんなが望んで環境づくりをしている。 そんな中でよく「早いうちに決断経験をたくさんさせる」のが大切だと聞く。 これは言葉そのままの意味ではなくて、より考え抜く必要があって、痛みの伴う決断をたくさんしろってことだと思う。

もちろんこれはビジネスマンとして、一緒に働く会社の一員として、未来を担う若手世代の一人として、経験しろということなのだけど、 普段から何かを「考えて決めるのは」どれくらい意識しているだろう。言い換えればどれくらい努力して何かを決めているだろう。

でも会社の状況で〜しなきゃいけないとか、この「〜」がつくうちはまだ自分で考えているようで考えていない気もする。 必要に迫られて、状況に追い込まれて、逃げ道がなくなって、時間がなくなって、もうすでに遅くて、ようやく決めているだけじゃないだろうか。

これまで「自分がやりたいことだから」という盲目的、妄信的、猛進的な、自分宗教の一教徒として忠誠を誓ってやってきた。 でもそれはあまり深く考えていなかったかもしれない。

信じて自分が頑張り続けるというのは、ある意味で決断を避けていたのかもしれないということだ。 そう、初めて自分の決めて信じてやっていたことは間違いだったかもと思い至った。

唐突に、やってきたことを悲観的に捉えてしまうのはよくないけれど、 なんとかしてみせる!一気に大逆転!ってのは物語にはあって現実にはない。 現実には過去の積み重ねがあるから、今の状況は過去の積み重ねが影響しているから。

なんとなく決めてきただけだけど、なんとなく今に至るわけではない。 だから決断した。今まで自分が正しいと思って頑張ったことを川の底に沈める覚悟ができた。

もっとずる賢く、戦略的に進める。そう決めた。 なんとなく決めた最初の失敗、ようやくできた決断。気分は悪くない。

今決めたこと、本当に自分で考えているか。 後悔やタラレバにならないうちにちゃんと考えてみる、見直してみるってのは大切なことだと思った。