道産子エンジニア

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速水健朗、フード左翼とフード右翼〜食で分断される日本人〜を呼んで

 

フード左翼とフード右翼 食で分断される日本人 (朝日新書)

フード左翼とフード右翼 食で分断される日本人 (朝日新書)

 

 

アウトプットしておきたいので、最近読んだ技術書なんかはさておき

この新書の感想を書いておく。

 

一言で言えば

 

「その人の食べるものから、その人の政治思想を読み解く」

 

ことが目的の本である。

 

タイトルにもあるフードにおける左翼と右翼について簡単に説明する。

フード右翼

フード右翼とは、流通から消費までを効率化し、大衆化、安定化、ファスト化させた食を「好んで」食べる人のことをいう。例えば、マクドナルドのハンバーガー、コンビニ弁当、スーパーでの生鮮食品や冷凍食品などである。

フード左翼

フード左翼とは、地産地消、有機栽培、高価で美味しい、限定化、スロー化された食を「好んで」食べる人のことをいう。例えば、ファーマーズマーケットの有機野菜、オーガニックフードレストランのコース、ベジタリアン、ローフーディストなどが食すものである。

 

一般的に言う左翼は革命主義、自由主義、理想主義であり、

右翼は、資本主義、合理主義のようなものだろう。

 

この本の中ではフードに関しては基本的に、比較的右翼側を良しとし、左翼側を悪しとする流れがある。

  

食は人間にとって大切な選択であり、日々迫られる重要な判断である。

そこから政治的思想を読み取る?と疑問に思うかもしれないが、とても面白い思考展開や根拠づけ、時代背景、政治背景から作者の論理や意見を読めて楽しいので、ぜひ読んでみてほしい。最後にはこれから向かうべき食のあり方、フード左翼としての行動などが書かれていて、勉強になる。

 

自分は、この本で言うとフード左翼に分類されている。

3000円でまずいビール、隣の人と並び合う狭い空間、落ち着かない雰囲気で飲む大衆居酒屋に行くくらいなら、4でも5000円でも出して、うまい飯、うまい酒を飲み食いできる店を選ぶ方だ。お金さえ困らなければ、ランチに1000円以上出しても構わないと考える方だし、美味しいものには対価を払うべきだと考えている。

 

本でも触れられているように、政治的思想に関して言えば、

左翼→右翼

はあり得る。しかし、

フード左翼→フード右翼

はあり得ないと語られている。理由は単純に「オーガニックフードがうまい」からだそうな。

 

しかし、そうだろうか?と疑問に思っている。

先日、東京に来たらいずれ経験するだろうと思っていたことが現実になった。

「ラーメン二郎」を食すことだ。

 

結論から言えば、うまいしコスパも良いので否定する理由は全くなかった。(500円で大盛りサイズ)

 

北海道にいたせいだろうか?自然と自分はフード左翼的思想に汚染されていた感覚が本書を通じて得たものだ。

 

少なからず、二郎の洗礼を受けて「あぁ、うまいなぁ。」、たまには食べたいなぁと感じた。本物のジロリアンは毎日でも食べるらしいが、自分は無理だ。

しかし、同期にも毎日のようにラーメンを食ってるやつがいるが、否定する理由はない。

 

なぜ左翼の人は合理化された食を嫌うのだろうか?

少なくとも自分はマックを不味すぎて食べれなかったことはないし、

大衆居酒屋でもビールを口にしないことなどない。

 

あまりにも毛嫌いし過ぎであるし、宗教的な何かを感じる。

 

よく出てくる話題は環境問題だの、動物愛護だの、遺伝子操作の倫理問題だ。

 

合理的に、科学的に説明すれば、

有機栽培は大量生産に向かず、逆に食料危機を生む可能性がある。

肥料を用いない土地では、もともと存在する無機物を植物が吸い上げてしまうため

肥料を生む畜産や輪作などの対応で面積あたりの収穫量が少ない。それは、人口増加をやめない人間にとって大問題だ。今より食料を作るには、オーガニックにこだわると今より農地を増やす必要がある。環境汚染ではないか。

 

また、動物愛護では、単純に人間が食すものに動物がいるだけだ。

他の動物がバランスを取るように他の動物を食すこととなんら変わりはない。

確かに飼育方法などには問題があるかもしれないが、それは人間として生まれた自分を殺せないこととうまく相談してほしい。

 

遺伝子操作もよく取り上げられるが、論点がいつもずれている。

そもそも遺伝子操作の穀物や作物がない限り、今頃人間は死んでいる。

目には見えないように流通し、10年以上は食べ続けているだろう。

だが、どうだろう。一人として遺伝子組み換え〜〜を食して害があったという話は出てきていない。

それどころか人間はより美味いものを探求し、必死に科学しているではないか。

合理的と聞くと聞こえが悪いだけで、本質的には「美味いものを幸せに食べる」ことからずれていない。

 

インジェクションビーフが普通に店に並ぶようになったのも合理化の結果だ。

 

話を戻すと、合理化は単に大量生産、大量消費を目的としているだけでないということだ。少なくとも、ファストフード産業の中の人たちは、日々どれだけの人に美味い!と感じさせることができるかを本気で研究している。それは物理的な美味さだけではなく、サービスとしての「食」で幸せを感じてほしいと願っているはずだ。その対価にお金をもらっている。実に健全なことだろう。

 

人間は何もしなくても腹が減る。

常に空腹というストレスを抱えながら生きているんだ。

神様はなんとイヤらしい性格か。完璧を与えてくれなかった。

 

大きな話に逸れるのはやめておこう。

けど、最近よく思うことがあって言っておきたい。

 

一方で、人間は大自然の美しさに魅了される。

人智では到底説明できない、理解できない世界に対して美しいと感じる。

それと同時に、自然界には現れない人智の幾何学にも美しさを感じる。

真っ直ぐな線、45度や90度の角、黄金比などだ。

両者は全く別な方向に向かうのに、どちらも美しいと感じる。

 

こと食に関しても同じではないだろうか。

自然の力を用いた、有機栽培野菜は美味い。

しかし、均一化されたいつもどおりの野菜も美味いと感じる。

人間の感覚が贅沢になっただけではないだろうか。

 

より良いものを求めることは重要だが、それぞれのやり方に走りすぎるのは良くないと思う。どちらにも良いところがあって、それらを協調し合いながら次のステージへ向かう。そんなやり方が必要だろう。

 

こちらのこの考えが正しい、科学的根拠がある、倫理的に許されないとか争う暇はないのだ。

 

政治への関心が低下するのは自分の行動が結果的に何かを変えることにならないからだろう。ある政治家の言葉がこうだ、ある政治評論家の説はこうだと諭されても、行動が伴わないから興味がでないのだ。

 

この本は、食事の選択が政治的選択に変わることを願っている。

オーガニックを好む裕福層のフード左翼が、その他中間層を受け入れないのは政治的選択と重なる。よりよい社会を求めて政治的議論をするには少し頭が足りない。

僕らができるのは、それが良いか悪いかと感じるほうに「選択する」ことだ。

食文化は人間を大きく動かす。

TPPでは米を守るために躍起になるし、放射線におかされた食物を食べなくなり、大騒ぎになる。

これらは立派な政治だ。

たくさんの人間が集まり、多様化した世界をうまく導くには政治が必要だ。

選挙で意思表明はできないが、食を選択することはできる。

 

徹底的な個人主義ならば、左翼的にフードを選択しても良い、

競争のパワーをつかい、より良いものをより安く得る右翼的な選択も良い、

よくないのは「無関心」と「信仰」だ。

 

何が正しいか?というものは明日にも変わっている。科学的根拠やオカルトのような理由までたくさんある。

大切なのは調和だ。誰が損をし誰が得するのか。その中でどうやってみんなで幸せになるか考えるべきだろう。

 

そうした未来には、オーガニックな食材のみを使った美味い料理を出す

ファーストフード店があるかもしれない。

 

 

そんな感想と新しい知見を得られた本でした。

著者の本をもう少し読み漁ろう。