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道産子エンジニア

毎週好きなこと書きます。

池谷裕二 鈴木仁志 「和解する脳」を読んで

読書

いつもの池谷本シリーズですが、どんどんすんなりと読みながら頭で考える読み方になってきた。 慣れてきたというか、それだけ本の構成が上手く作られているので、読書自体を操作されている感覚に近い。

全体の所感

「理」と「情」をバランスよく用い、人間の争いについて脳科学的に分析し、「和解」を体系化するには?というテーマで話は進んでいく。大脳皮質が持つ「理」、脳幹が持つ「情」のバランスとはどういうことか? 自分の脳が安易にはじき出したのは、情をコントロールできずに争いや弊害が生じるから、それを理を用いてバランスを取るのだろうというものだった。しかし、この弾けた暴論は容易く棄却された。

キーワードは大脳皮質がもつ「リカレンス(自己増幅)」だ。理が、大脳皮質が、まるでショートサーキットのように理を増幅させてしまうことに問題があると、本には書かれている。加えて、脳幹が司る情による欲求は満たされるものなのだ。おなかが空けば食べればいい。眠たければ寝ればいい、根源的に、生物として人間を動かしている欲求は、行為によって満たし、自然と消滅するものなのだ。そうではなく、 「理の暴走」 こそが争いや弊害を生む。理の暴走に情が油を注いだりすることもあるし、厄介なのは理が消えない欲求であることだ。本書で例えられていて一番わかりやすいのは「お金」だろう。お金を無限に貰えるとしたら、「これだけあればもう十分です」という人はほとんどいないだろう。自分たちの住む世界で生み出した、その社会、コミュニティで生きていくために必要なルールという理の塊に縛られながら生活しているのだ。この理の暴走(理の肥満)を情とこれまた理を用いてバランスを取っていく、これが本書で一番刺さる考え方だった。

池谷節

池谷さんの文章は、本来難解なはずの脳研究の最前線の話に読者をいともたやすく引き込んでしまいます。そして、興味深い個々のトピックが計算されたように徐々に収斂していって、いつのまにか物事の本質を考えざるを得ない状況へとわれわれを導いてしまうのです。

池谷本を読んできて、割とキーワードや言い回しに慣れてきたし最後に鈴木さんが言っている「池谷節」というのが激しく共感できた。順番としては本当に最後に出てくるのだが、この記事を読み返したときに、これが池谷節か!っと気づく瞬間を早く体験するためにも最初に書いておきたかった。

ちょっと気づいたこと

言語獲得についてかかれている部分で、自然の森に過ごすサルは争いや競い合うことはないと書かれている。加えて、争いたく無ければ逃げればいいということも書いてある。まぁ、確かにそうだなぁと思うけど、自分の不思議なところは「それでも何か競い合うことが好き」であることかな。しかもそれが、限りなく情に近い理な気がした。

進化生物学と見城徹

鈴木さんが注目している進化生物学には、人間の本質的な行動として「互恵的な利他行動」があるという知見があるらしい。これは愛読している見城本にも出てくるやつだ。脱線してしまうが以下は「憂鬱でなければ、仕事じゃない」の引用。

第4章 「人を動かす」

頼みごと百対一の法則

人から何かを頼まれたときは、できる限り引き受けるべきだ。そのほうが距離が一気に縮まっていく。 こちらの意向も、通じやすくなる。引き受けるのに足る人だったかどうかは、いずれ答えが出る。

無償の行為こそが最大の利益を生み出す

何の報いも期待されず、何かを与えられた者は、どう思うだろう?なんとしても相手に多くを返したいと思うにちがいない。そこに人を動かす力の本質がある。

やや見城さんの口調で尖っている部分もあるが、だいたい同じことを言っている。思いやりがある人間にはこれが一番効くと僕も思っているし、自分の邪な気持ちを知りながら、あえて誠意のみを伝えることもある。それは卑怯だろうか?僕はそれこそ人付き合いだと思う。本当に関心の無い者同士は、そもそも接点を消そうとするだろう。

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このあと本書では、ブログは悪だ!というような論調になっていくが、人々をバラエティにしてしまう意味ではSNSのようなものがまた争いを生むことは確かだし、自分も間近で体験しているのでよくわかる。

有機的な繋がりをもった人々は攻撃をすると自分にも影響がある。それを無くしてしまっているのがインターネット、というのは少々暴論だが、わからないでもない。インターネットには世界を変える力があることは確かだ。

帰納と演繹」

この議論には飽き飽きしている部分もあるが、理系について少し書く。分類としての理系に意味があるかないかというよりは、ここでいう理系はそういう思考をする人くらいの意味として欲しい。

友人に数学科出身のバリバリの論理指向者がいるのだが、彼曰く「ほとんどの理系と呼ばれる人は理系じゃない」とのこと。本当の理系は、もっと論理のみで語るべきだ。 理系は人間らしさが大嫌い だ。という主張こそが彼が理系たる所以だ。証明できないことを人間らしさ(属人的)とまとめるものはすべて悪としている。そういう意味では、これまで何を専攻していたか程度の考えだった自分は恥ずかしいくらいだ。

脳はある部分において、非常に人間らしい。というか、詳しくわからない部分が多いから、人間的解釈をするしかないというのが正解かもしれない。脳は入出力装置であり、それは1+1=2というように答えのある無数の式が折り重なって、複雑と思われる直感などを生み出している。つまり、演繹して証明していくのが本当の脳科学だ。と池谷さんは言っている。

より人間らしい振る舞いとは帰納である。例えば、本書に出てくる卵を割って腐っているか調べる話などである。演繹はこれを許さない。確固たる証明があって、それを体系化していくことが科学なのだ。池谷さんの言葉を借りれば、「反証可能性」が科学である。

この考えにはしびれた。

ほんの少しだけ大学で科学していた人間としては恥ずかしい部分もあるが、これまでは、仮説を立ててそれを証明するデータを採取し、有意性を確かめることが科学だと思い込んでいた。そうではなく、仮説を立ててそれを否定することこそが科学だということだ。「仮説どおりのデータが得られるうちは、その仮説があっているか間違っているかはわからない。」いい言葉だな。

連合記憶と認知バイアス

人は見た目が9割とかもこの辺から転じるかも知れないが、可塑性を持つ脳は最初に受容したものに影響されやすい。それは池谷本を読んでいれば何度も出てくる話だ。認知バイアスが厄介なのは、連合記憶と相まってきたときだなと鈴木さんの話からもわかる。説得や和解には連合記憶を用いるのがよいが、正負どちらの連合記憶かが大事になる。初めて入るお店がお客を選ぶ店だと、一見さんには冷たいのもこれをよく応用できている。連合記憶を上手く操作するには、情報提示のタイミングが重要であり、相手が心地よいと感じる瞬間に「理」の提示、ハッとする理由をつけるだけでいいのである。「自分の言っていることを信じさせるためには失恋したとき」のようなものだろうか。

そんなことを考えながら読んでいた。

人生を決めるときに直感を使う

自分は昔から色んなチャンスを逃して、色んなチャンスを掴んでいるが、ここぞというときにはいつも直感で掴んでいると感じる。脳科学的に直感をまとめると、ストリアツムが膨大な計算を行って、無意識にある行為の選択を正しいと判断することだ。将棋の羽生さんがいう「思いついたあとに、なぜ正しいか考える」のは本当に昔から体験している。自分が成長するときはいつもこのときだと確信していて、行動や結果を全部自分のせいにして、それが正しかった理由を考えて、理論武装していくこと自体が成長の過程だなと思う。直感にまとわりつく何故?が解けたとき(自分の中で納得できたとき)、新しい世界が見えていることが多い。それまでは色んな葛藤と戦い続けて、たくさん失敗していく。これからもそうしていく。

マネー信仰と酒

池谷さんがある実験の話をしていて、あぁ本当にそうだなと感じたのはワインと値段。これは自分の場合、日本酒なんだけど。よくおすすめある?って聞かれて、日本酒を選んであげることが多いのだけど、人それぞれ味の感じ方の違いはあれど、絶対高い酒をすすめたときが「なんか美味しい」っていう。俺は「へぇ〜」っていいながら一口貰って、自分の選んだ酒のほうが(安いけど)美味いなと感じている。自分の味覚を過信しているわけではなくて、自分の好きな味の酒を選んでいるから美味いのだ。値段はその次でいい。日本酒は特に安いお酒なので、ワインに比べて高い酒が美味しい数よりも安くて美味しい酒の数が多いのは確かだ。それでも、値段が人の味覚を変えるのだな〜となんだか悲しくなる。ネームバリューってものの本質を見失いやすい。俺が思うにネームバリューは大抵運か偉い人の情報操作だと思う。本当に努力してその価値を持っているものもたくさん知っているので、一概には言えないが。そういうのを見極められる人間になりたい。

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とまぁ、こんな感じで読んでいたのだけど、結局「和解」にはどうするのがいいのかなーというのがはっきりできていないのだなぁと思う。というかできない?

体系化に必要な要素としてかなりのヒントを貰ったが、帰納的で属人的な世界なので、冷静な対話とお互いの情に呼びかける話し合いが大切なのだろう。紹介された知識は、あくまでガイドラインだ。立場、状況などに応じた相対的な「快」を探していくのが弁護士という仕事なのだなと感じた。逆転裁判みたいな争いを助長するゲームは、楽しいかもしれないが本質ではないのだなと。

自分もたまに情だけで動いてしまう時がある。本能なので御するにはフリーウォントを用いるくらいだが、それができていないうちはまだまだ子供だなぁ。けど、情で暴走するというより、情を考えてここは暴走しなきゃいけない!って感覚があるときが多い。「あえて空気を読まない」スキルは高めていきたい。

前のブログには「冷静な情熱」(頭では熱いのだが、表は冷静に)を持っていると書いたが、さらに「冷静に考えて、わざと熱くなる」(頭は冷静だが、表は熱く)のも必要だし、それがより良い人間関係を埋めると思い始めた。

そんなキッカケができた本かな。