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道産子エンジニア

毎週好きなこと書きます。

貴志祐介「黒い家」を読んで。

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自分が思い出せる中で、自分から見ようとしたホラー作品は数が少ないし、自ら選んだにも関わらず「ホラー」という作品が好きでないと最近まで思っていた。それが打って変わって毎週のようにホラー映画を見たり、ついには小説まで読んでいる。そんで感想を書いている。これは本の感想というより、ホラーにハマりつつある自分の心境の変化のメモとも言えるかもしれない。

思い出せる限りで、過去に見たホラーっぽい作品は以下。 映画だと、呪怨、ほの暗い水の底から、SAW1~4?、着信アリ、リング。 書籍だと本当に少なくて、携帯小説ブームでDeep Loveとかが流行った時期に、これまたDeep Loveを書いたYoshi(http://ja.wikipedia.org/wiki/Yoshi)さんの「もっと、生きたい…」だけしか読んだことが無い。そもそもホラー作品ではないが、過激な描写が含まれている点に置いて選んだ。

もちろん自分でも感じていたのだが、世間の痛烈なケータイ小説批判やバイオレンスに満ちただけの映画という印象から、「ホラー」=「過激な描写を集めただけの、中身のない作品」というのがべっとりと頭に張り付いていた。だから、怖いという単純な感情だけでなくホラー作品を嫌厭していた。

最近ホラーにハマるようになったきっかけは非常に単純で、同期の女性にホラー好きがいて誘われたことと、先輩からkindleを買ってすぐさま使って見たいと思ったからである。軽佻浮薄な理由だが、大抵のことはそうやって始まるのだ!と開き直っているからたちが悪い。

さて、作品の感想を認める。 読み終わってからレコメンドを見て知ったのだが、貴志祐介の作品はもっと有名な「青の炎」「悪の教典」などがある。今後はこの辺を責めて行こう。映画も本もあるのでどちらからいこうかな。

頭に残ったキーワードベースで書いていく。

京都

最近は同期の京都出身(もしくは大学が京都)の友達が増えたこと、上司が京都出身、一人旅で京都に行くつもりだった(来年までお預けになった)、四畳半神話大系を見ていたこと、来年の情報処理学会が京都開催で授賞式いくかも、などなどが合わさって一人で京都熱が高まっている。そのせいか京都を舞台としたこの作品は最初に自分の心をぐっと掴んできた。都度書かれる京都の地名に思いを馳せながら読んでいた。旅行に行った際には聖地巡礼で忙しそうだ。この作品を通して描かれる京都の街は、土地柄を表すだけでなく、作品の恐怖感を際立たせる効果もあるように感じた。色んな作品からみる京都はとても表情豊かで、尚更行ってみたくなった。絶対にいこう。

生命保険

作者のバイアスがあるとは思うが、生命保険というものにたいして嫌な印象を受けるような描かれ方をしている。前回の記事 池谷裕二 鈴木仁志 「和解する脳」を読んで - 道産子エンジニアでも金という普遍的な価値は人間の価値観を変える力を持っていると感じたが、その最たる例が保険金にまつわる犯罪だと思う。今は自動車の保険に入っていた程度でほとんどその存在を意識したことが無いが、これから家族を持ったりするとそういうことをイヤでも考える必要があると思うと、胃が縮む。人の感情を生業とする市場はやはり儲かる。受験、保険、冠婚葬祭、裁判など。これらのどれも金をかけると良いサービスを受けられるが、サービスの良さをアピールするばかりで、リスクについての説明がほとんどない。いや、正確には無いというより、説明が難しいので簡単に済ませることを消費者が望んでいるようにも思える。自分は携帯会社のプランですら入念に読んで、窓口の受付程度では気づかない穴を探すのが好きなタイプなので、自分が加入するであろう保険には慎重になると思う。けど、本来ならそんなこと考えずに、お互いうまくやりませんか?ってのが本音ではある。情弱は常に食い物にされてしまう世の中も、金の魔力と言えようか。

昆虫

特に聞かれることもない質問なので、あまり人に知られたことがないが、無視はあんまり好きじゃない。作品では虫の生態系を例にあげたり、若槻の専攻であったことなどとして語られる。それ以外に、昆という字の意味、若槻が見る夢に登場した蜘蛛という存在が母の象徴であることなど、家族の繋がりのメタファーとして用いられているように感じた。最近、食品添加物の鮮やかなピンクもサボテンに生息する虫の体液だと知り、辟易としていたところにまた虫かぁという気持ちだったが、時に奇妙に、時に命の儚さを表現するように、と視点によってはまた興味深い存在かもしれないと思い始めた。

心理学

大学で軽ーく勉強しただけの浅知恵しかもっておらず、本に取ってはなかなか重要なファクターであるのに、自分がずいぶん疎くて困った。どうも無惨に殺される金石の話すような、胡散臭い説明や語り手が多い学問には慎重に接するようにしている。脳科学の池谷さんと同じく、知るうちにその学問の魅力に取り付かれてしまうような語り手の本を読んだり、話を聞いたりしない限りは懐疑的な印象のみを持って、少しずつ勉強するしか無いなと思った。自分なりの解釈は必要だけど、きちんとした理論の源流みたいなものは持ちたいし、それ以外の思想や結果を否定するものではなく、自分の仮説を棄却する結果を探すようにしていきたい。学と付くからにはそういうスタンスでいたい。ただ、心理学と聞いていつも思い出すのは、大学のとき最初は嫌いだった認知心理学の先生だ。卒業前には、自分の師匠が仲良かったこともあり、酒を飲むようにもなったが、講義の楽しさとは裏腹に「あつかいにくい」先生だと思っていた。あつかいにくいというとお前は何様だという感じだが、つまり苦手である。自分のペースでは掴めない、相手のペーズが強い相手だと、自分もそういうタイプの人間なのでぶつかってしまう…

心理学専攻の黒沢恵では妄想したが、そういうタイプなのかな?と思うと興味深いが萎えてしまう。苦手なものにこそ、自分の本質を探る鍵があると思っているので、積極的に知りたいし、ホラーもそうやってハマったのでまだまだ心理学を知ろうとする自分は未知数。楽しみだ。

サイコパス

恵が作品中に言うように、自分もこの言葉は嫌いだ。

言葉のイメージではなく、この言葉を通じて人間が思考を停止させることが嫌いなのだ。 よく自分が行っているのはなんでも病気にすりゃいいと思ってるってやつだ。もちろん、根性論を話したいわけではなく、恵が言うようにそういうふうにわかりやすく括って、なにも考えないやつが合理的に作ったっぽいから嫌いなんだ。 本来、共通意識を言語化し、コミュニケーションスピードを早めるのが病名や症状名の役割であると思うので、専門家意外に専門用語を用いるのはナンセンスだと思う。ルー大柴現象になって、人間はその言葉の意味も知らずに使っていることが本当に多いと思う。自分もIT界隈のコミュニティではやむを得ず使うことが多くなってしまうが、そうでない人に対しては最新の注意を払いながら専門用語を使っている。「○○といえばああだ」という短絡的な思考回路が、人間に相手への配慮などを欠如させてしまう。本当は思っていることと全然違うかも知れないのでは?そう思いながら使わないと、コミュニティ内では楽しく過ごせるかも知れないが、端から見れば奇妙な集団にしか映らない。脳の形成から考えても、人は本来殺戮を楽しむような生き物ではないと思うし、仮にそういう人もいるかもしれないが、話してわからない人間はいないと自分も思う。暴力や恐怖でそのときはいいと判断して制裁や淘汰を行うのは、非常に稚拙に感じる。深く相手について考えていないし、考えるつもりもないように思う。それでは種全体で考えた本当の進化はないし、人間の死も近いだろうと思う。


ここまでくると哲学的だが、ホラーみたいなバイオレンスにハマりながら、殺人などの過激な描写もあることながら、人間の行いがもっとも恐怖に感じるのだなと思うようになってきた。特に集団意識の恐ろしさは今も昔も変わらずに感じている。味方を正義、敵を悪と考える思考から解放され、冷静に物事を見つめ考える目が欲しい。ただ、黙ってしまうのは思考停止なので、関係ないからといって踏み入らないのも嫌なのでバランスをどう取るか考えたい。

もっと思いやりが強くなって、愛を知って、接した相手を優しくできる人間になるためにもホラーは見続けたい。 もっといえば、暴力だけでない人間を操作する恐怖の神髄を知り、人がどのようにしたら争わなくなるのか考えたい。

そう気づかせる作品であった。