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道産子エンジニア

毎週好きなこと書きます。

絵師100人展みてきた

展示

www.eshi100.com

また終わってしまった展示のことについて書くのは申し訳ないんだけど、面白かったので残しておく。毎年やってるみたいだし来年もチャンスはある。

www.instagram.com

絵を描く技術で感動を与えられるのはすごい。写真がめちゃくちゃ綺麗に撮れる時代にくると、絵は人々の妄想を表現するようになったのだなとか妄想してみてた。というくらい(空間的、時間的、物理的に)自由な作品が多かった。全て二次元ではあるが。

なぜ女の子の絵ばかりなのか

どうして女の子のイラストばかり描くの? - はてなハイク

女の子を描く絵師たちはなぜ女の子を描くんだろう。押井守も可愛い女の子を書きたいって言ってたし。写真も絵も圧倒的に女の子を描くものが多いはず。絵になるとは言うけど、絵にしたくなるのはなぜなんだろう。手に入らないから描くのか、美しいから描くのか、そこには性を感じられずにいれない。

そんな風に考えながら見ていたら、作品集のコラムに同じことが書いてあった。

「絵師」の生み出す作品は多様である。しかし、多様性の一方で、「絵師100人展」に集められた作品には共通点を見出すことができる。共通点としてはまず、少女を中心に描いていることがあげられる。そして、その少女の描写も共通の様式によって描かれている。「絵師100人展01」図録解説で山本裕二氏は、顔の輪郭の形状、大きな目、小さな鼻と口、細い手足、平板な体幹、幼形成熟ネオテニー)などを共通点ととらえ、「平成美少女様式」と呼んでいる。

(中略)

「絵師100人展02」図録解説において森川嘉一郎氏は、「平成美少女様式」の源流を、初期のコミックマーケットにおいて流行した少女漫画の絵柄を用いた下ネタギャグやエロパロといったパロディにあることを指摘しており…

(中略)

昭和の当時エログロナンセンスと呼ばれ、最初は社会的に意義のないものとされてきた漫画文化の黎明も、米澤嘉博を筆頭にした数多くの研究者とその熱意により、カルチャーにまで押し上げられてきたという事実がある。

なるほど。 昨年見に行った「春画展」でみたように日本でも昔から女を描く人たちはたくさんいるし、海外でもヴィーナス、マリアなどなど信仰の対象としたもの、モナ・リザ真珠の耳飾りの少女など女性をモチーフにした作品はめちゃくちゃある。社会的にそれが創作物としてのカルチャーを持ち存在意義を獲得した今、女の子(女性、女)を対象とした創造活動は特に日本のポップカルチャーによって拍車がかかっているのだろう。自分もどちらかといえば女の子の絵を見たいなとは思うしこれからもどんどんそうすべきだと思う。女性は逆なのかもしれないけど。

あとこんな考え方もある。

日々の標本箱: 見える

絵(グラフィック)だからできること

最初に自由な作品が多いと書いたように、絵の中に自分の好きなものをごちゃごちゃにぶち込めるのが良いところだなと思った。写真にするには自分がいいと思う女性を探す、素材を探す、場所を決めるなどなどコストが大きいが絵はイメージと絵を描く道具があればいい。なんだか哲学的だけど、絵を描くこととプログラムを書くことは似ている。どちらもイメージがあればビジュアライズできるし、現実世界に投影可能な装置さえあれば具現化も可能になる。(よりリアルに近づくほど情報量は爆発的に増えるが)これまではパレットやディスプレイへの描画に留まっていたが、今の時代ではその境界も溶けつつあるんじゃないだろうか。

テーマは「色」なのに

今回のテーマは色だそうな。でも作品全体を通して「白」を使ってる人が多かった。特に女の子の「髪の毛」か「衣装」が白いパターンが多くて、それ以外の部分がカラフルになっているものが多かった。白い髪や白い衣装が表すのって純潔さのような気がするんだよな。タイトルも「あなた色に染めて」的なメッセージが散見されたし、なんだか「描くこと」を擬人化しているのが女の子なのでは?という感覚も芽生えてきた。つまり、パレットのような純白を自分の色で染めていくような脅かす感覚が根底に渦巻いているのではないかという。この辺の話は原研哉さんの「白」とか無印良品の作品観につながってくるように思う。

あと色も大切なんだけど、衣装などに施す「パターン」にこだわる作品も多くてすごいよかった。パターンってのは模様のことなんだけど、花、鳥みたいなものももちろんだけど、和服の文様ってまじいいのな…

個人的に刺さった絵師

リンクはテキトー。同人界の大物が多いかも笑

ちょっと前の何気ない会話の一言がまだ気になっている

話が変わるんだけど、同期何人かで 村上隆の五百羅漢図展 に行ったときにした会話の一言がまだ気になっている。俺は村上隆の作品好きだし、壮大な裏打ちのある制作過程とかも現代アートから逸脱していて納得感あるんだけど、そんな俺に一人が言った

でも100年後に残る作品じゃないよね

みたいな一言の会話がずーっと気になってる。 この一言は逆に考えるとこれまでの時代を代表する近代美術的なものが、まるで「100年後に残るように作られた」かのように聞こえてしまう。実際そんなことはあり得ないだろう。芸術はその時代を表しているだけであって、未来のためにデザインされているものは企業が作るプロダクトだけじゃないだろうか。たまに「時代が追いついていなかった」的な斬新な芸術作品だったという話は聞くけど、ほとんどはそのときを生きた人たちの生々しい表現を具象化して形に残されたものだろう。

そういう意味では今の技術を使って存分に描いている絵師たちの作品は、絶対に時代を超えて歴史となっていく一つなんじゃないかと思うし、もっともっとたくさんの作品やその熱意を今のうちに見ていきたいと思った。(描いてる人がおっさんだったりするし。)