道産子エンジニア

悲観主義は気分に属し、楽観主義は意志に属する

東京どこに住む?を読んだ

東京どこに住む? 住所格差と人生格差 (朝日新書)

東京どこに住む? 住所格差と人生格差 (朝日新書)

温泉旅行行く時に読み始めてから放置してて、ロンドン行きの飛行機でカッと読みきった。旅行中読んだ本の三冊目。 これは最近、家を買いたいという先輩の話や自分の引越しで家賃の話とかをしたり、タマニチェンコさんの「東京の会社を退職して山形に移住することにしました」なども読んでて「東京で住むこと」についての興味がでたので買った本。物件探しは運とタイミングと金が全てを決めるか?前から基本的な情報集めや引っ越した人からのアドバイスはもらっていたが、「なぜ西は高い」とか「どうしてこんなに高い」みたいな根本的な部分についての知識がなかったし、こういうのは仲介業者や大家でも良くわかってない人は多い。引っ越しって結構大きなイベントなのに以外とそれに関する情報源って少なくて、結局は仲介業者が恣意的に、利己的に判断した情報を鵜呑みにしてしまう可能性が高い。もっと根本的な「住む」ことに対しての考え方やライフハックをしていけたらと思って参考程度に読み始めたらなかなか面白かった。

作者の速水健朗は、以前に読んでいた フード左翼とフード右翼の著者でもあり、少し前に自分でした引っ越しと、今後の東京生活の参考になりそうなので読んでよかった。自分はまだ東京に来て3年くらいなので、まだまだ土地勘がないが住みたい場所をどう決めるかは人によってそんなに変わらないよなというのが実感としてある。

日本人は引っ越し不精

本を読んで面白いなと思ったことの一つ。 よく 日本人は永住思想がある と感じるが自分にはない。

日本人は引っ越しが嫌いである

とこの本が始まるように、日本人は「生涯転居回数」が少ないそうだ。諸外国では三倍以上もあるらしい!もうひとつ旅行中に読み切った本「予想通りに不合理」でもアメリカ人はよく引っ越しをするということが書かれていたし、世界的に日本人は 引っ越し不精 なようだ。 それとこれとはそんなに関係ないかも知れないが、俺は家を持とうという発想がないし、家を持つことが「安定している」とも思わない。世界情勢は変わるし、人間の生活スタイルも変わるのに日本人は永遠に夢見がちだよなと。

さすがに言いすぎたが、世の中は変化しているのにずっと変わらないものは珍しい、ならば変化することを前提としたスタイルで生きたいというのが持論だ。仮に東京でマンションを買ったら、賃貸では残らないが買えば10年後に家が残る、だが10年後にそこに住んでいたいと思うかどうかははっきり言ってわからない。特に変化の激しい東京という街では自分が住みたかった街でなくなっている可能性が大きい。東京は好きだが、子育てとお金を稼ぐ以外には美味しい飯屋が多いくらいにしか思っていない。これはたぶん地方出身だからだろうけど。

本を読む前にした自分の引っ越しについて

東京への最初の引越しは会社が借り上げてる「エンジニア向けシェアハウス」への引越しだった。男限定でキッチンや風呂などは共用だが、狭いが鍵のつく自分の部屋はあるタイプだった。

最初にこれを選んだ理由は、

  • 東京の土地勘がないので「とりあえず」で物件を決めたくなかった
  • エンジニアの同期が多く入居することにしていた
  • 家具を揃える必要がない

ためだった。

2年半くらい住んでみて、そんなに悪くはなかったが成人男性が住むには各部屋が狭すぎたのが一番良くなかったことだと思う。同期たちも次第に退居していき、「まだ住んでるの?」なんて言われるようになってきたので今年の夏に2週間で物件を探して即引っ越したのだった。

今住んでいる物件はそれほど安くはないが、会社に近いこと(歩いて行ける距離を近いと思っている)、出勤に電車ではなくバスを使えること、 キッチンが広いことなどなどを考えると悪くないと思い決めた。それにしても管理会社がズサンすぎてもうこの系列には関わりたくないと心底思った。

ヘイシャーの家賃補助と職住近接

速水さんの調査は弊社にも行き届いていて、弊社は渋谷駅から2駅圏内に住めば家賃の補助が得る「二駅ルール」なるものが存在し、それについても言及されていた。(どこでも5についてはさすがになかった)なぜ東京に人が集まるのか?という文脈で、最近のIT企業は職住近接スタイルを取るからだという部分で出てきた。そして本に書かれているように、近くに住むこと(会社と家や社員と社員など)でコミュニケーションが活発になるメリットは確かにあると思う。仕事終わりに飲んで帰れるし、詰め込んだあとにチームで飲んだりするのは意外と楽しいものだ。情報系という場所を選ばない産業であるほど、「仕事での人の繋がり」が大切ということなのかもしれない。

都会の良さをどう活かすか

この本で書かれているように、人はコミュニケーションを行うことで知能を発達させるので教育に関してはどう考えても東京に住んで東京の学校に行かせる方がいいかもしれない。情報察知もしやすいし、近所付き合いも盛んになれば得るものは大きいだろう(マンションでは考えにくいかも)。そういう人間の仕組み的に得られる利点が東京という街を形成しているような気がする。もちろん、地方でもずば抜けて才能がある人はたくさん周りにいるので東京いることだけが有利とは思わない。街の雰囲気だけでいえば栄えている街で最も好きなのは京都で次は札幌だ。可能な限り多くの人や文化に接することができる環境で教育を受けさせたい。そのために生活の基盤を東京やその他の栄えている街で作るとすれば、自分もそこで10年は働き、生活をしているほうが良いだろうなと思う。そこから子育ての期間を考えると東京であと3~40年は暮らすか、その水準を保ったまま他の都市へ行くための能力をやはりこの10年程度で身につける必要がありそうだ。

都市風景とセンシュアス度

今回引っ越した物件はそれほど悪いとは思っていないが、2年しか住まないと決めている。理由は色々あるが、バイクの車庫が欲しいのともともと北海道で過ごしていた家はかなり広いので、東京の狭さにどうしても適応できないところだと思う。ものを増やさないという意味では狭い部屋で質素に暮らすのも正しいが、ものを増やさずに空間を広げたいという気持ちも強い。空間の広さは設計によくある空間の余白として重要だと思っていて、適切な広さの部屋にいい位置で家具を配置した時の気持ち良さは、ホテルとかをみてもわかると思う。そういう贅沢くらいはしたいな。

そういえば自分が持つ住みごこちの感覚ってどう決まるんだろうか? 本で紹介されていた センシュアス度 というのが調べてみたら本当に面白かった。

Home's総研というところが発表している理想の都市構想に「センシュアスシティ(官能都市)」というのがあり、それを評価する度数がセンシュアス度なのだ。 Home's総研はHome'sという不動産、賃貸情報サービスを運営する株式会社ネクストがもつ研究所らしい。

この研究所の調査報告レポートの一つにセンシュアスシティ構想がある。

www.homes.co.jp

都市の魅力とはなんだろうか。楽しく幸福に暮らせる都市とは、どのような場所だろうか。「住むこと」の自由を考えるHOME’S総研が、都市の本当の魅力を測る新しい物差しを提案します。

この辺でなかなか掴まれる。そう、俺はもっと「なぜ住みたいのか」を定量分析したいんだ。それも広さ、交通混雑度、利便性などではなくもっと根本的な「住みたい」欲求に応える尺度が欲しい。それに答えているようにも見えた。この調査の中で研究所長島原万丈の「アトムとジブリと物差し」のコラムがすごくよかった。そこでは日本の街並みについて三つに分けられると提唱されていることを書いている。

都市や郊外に関する多数の著作を持つ、社会デザイン研究家の三浦展は、東京の都市風景の分析を通じて、日本人の都市に対する3つの価値観・見方に、アトム的・ジブリ的・パンク的と名付けられる3つの極があることをあぶりだした(『新東京風景論 箱化する都市、衰退する街』NHKブックス、2014年)。

三浦展(みうらあつし)は「下流社会」の著者だった。高校の時になんでもいいから新書読めという課題で読んだのを思い出した笑 それぞれどんな風景か引用する。著作物の引用について騒がれている昨今なので、イメージの検索結果もつけておく。

アトム的

アトム的な都市とは戦後の昭和が夢見た「未来都市」であり、そのカタチは要するにル・コルビジェの「輝く都市」であり垂直田園都市だ。昔なら西新宿の高層ビル群や首都高速、今ならお台場や豊洲などの湾岸エリアが代表的な例だろう。再開発でスーパーブロックと高層ビル群に作り替える都市計画は、まさにアトム的な価値観によって計画される。

アトム 近未来 街の検索結果

ジブリ的

ジブリ的な都市とは、風土に根ざした原風景的な懐かしさを感じさせる、商店街や路地裏や横丁が残る風景だ。例えば、谷根千(谷中・根津・千駄木)や神楽坂などが象徴的で、吉祥寺や阿佐ヶ谷や高円寺などもジブリ的都市だ。いずれも木造密集エリアである。

ジブリ 街並みの検索結果

パンク的

パンク的とは、映画『ブレードランナー』が描き出した、超高層ビルの足元に屋台街が広がるような猥雑で混沌とした都市像で、アトム的な風景とジブリ的な風景が視界の中に併存する。もんじゃストリートで有名な月島あたりで、路地裏の古い木造長屋の背景に超高層マンションがそびえる風景や、日本橋の上を覆う首都高速などは、いかにもパンク的である。

パンク ブレードランナー 街並みの検索結果

なるほど確かに今も渋谷で進んでいるような都市計画はアトム的な街を目指していて、人々が住みたいと言っているのはジブリ的な街かもしれない。俺個人としてはパンク的街が攻殻機動隊や「プレ近未来」を感じるものがあって好きだ。ただし安らかに過ごしたいと思うのはもちろんジブリ的な街だ。地方出身者ほどそう思うのではないだろうか。まずどんな街がいいか?はこういう考え方から始めるのもいいかもしれない。

センシュアス度

どんな街かを判断するのに賃貸の間取りは関係ない。つまり住みたい家がそこにあることと住みたい地域であることは全然関係ない。というより、住みたい地域かどうかはもっと抽象的な概念で家の形はその要因の一つにすぎない。自分たちが引越しをするときにあまりにもそこに気がいきすぎている。では住みたい地域をどう判断するか?それがHome's総研が言っているセンシュアス度だ。転載許可を取るのはさすがに面倒なので、調査レポートを見てもらうと判断基準がわかる。

http://www.homes.co.jp/search/assets/doc/default/edit/souken/PDF2015/sensuous_city_01.pdf

自然を感じる とか 歩ける とか ロマンスを感じる とかいう人の感覚が指標になっているのが面白い。俺の周りにも街歩きの研究をしていた友人やノスタルジーを感じる路地の写真を好んで撮る友人もいるが、そういう潜在的なニーズがあることをわかっていたのだ。これはとても参考になる。人がもって生まれた「いい街だと感じるもの」をある程度わかりやすくしてくれる。そしてその良さが実際の物件の価値などと比例していれば、本当に自分が住みたいところを探せるだろう。


旅行中に見たロンドンの街は、いつもどこでもガンガン改装工事が行われていて、テムズ川近辺の埋め立て地的なところではマンションがどんどん作られていた。グリニッジの丘から見た街はどこも高層建築クレーンが立ち並んでいてそれはそれで面白かった。ロンドンは良くも悪くもジブリ的な「古き良き街並み」が特徴で、昔ながらの家はどれも階が低く、増改築しにくそうな伝統的な家屋が多かった。そうした景観が残されているからこそ楽しめた旅行でもあったので、古き良きは守りつつ、ロンドンらしい建築事情が発展していけばいいなと思った。

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この間の引越しでは何もわからずに仲介業者に頼んでしまい、管理会社のずさんな対応などからイライラが募り「もう引越ししたくない」と思ってしまった。日本の引越し不精の原因は明らかにその辺が生んでいる「引越しの面倒臭さ」のせいだが、こう言った住むを科学して本当にいいものを自分で探せるようになっていけばもっと引越ししたくなるだろう。次の引越しが楽しみだ。