道産子エンジニア

毎週好きなこと書きます。

木皿泉「二度寝で番茶」読んだ

二度寝で番茶 (双葉文庫)

二度寝で番茶 (双葉文庫)

中学くらいで買った本に「野ブタをプロデュース。」という作品があった。(12年前!)あの独特の人間臭いドラマが結構好きだったのを覚えている。ちょうどドラマが始まる前の時期だった。堀北真希がデビューした作品、亀とやまPのベストヒットソングの作品などの印象が強いかもしれない。

そのあともロボットと人間の恋愛ドラマを描いた「Q10」(キュート)という作品も結構ハマった。(7年前!)AKB48の全盛期でもあったので、前田敦子のロボット作品ということしか頭にないかも知れないが、あの人間臭い感じはなんとも印象的で好きだった。それとQ10が歌うアンルイスのグッド・バイ・マイ・ラブがすごく良くて、それで聴いて以来、原曲をカラオケで歌ったりするぐらいハマった。

とまぁ、木皿作品との自分の接点はこんな感じだった。エッセイを描いているんだ~なんて感じで見かけたので読んでみた。

全体の印象としては二人で一人の脚本家をやっていることに衝撃を受けたことと、作品から染み出るあの独特の人間らしさの正体はやはり二人の諸行無常観によるものなのだなと納得できた。

自分としては生きることに冷めているとは感じず、自分らしさを追求しているのだなと感じた。その分、芯のある作品になっているのだろうとも。

諦めではなく、特別ではないと気づくことで、開き直りではなく、ポジティブに生きている感じがした。(発想はネガティブなんだけど) 「汝自身を知れ」的な達観が多く、面白いなぁと感じたものを紹介していく。

家族も誰かの発明

これは結構驚いたし納得した、家族って戸籍とか血のつながりとかいろいろあるけど、確かに家族という概念自体は自分が勝手に思い描いてる妄想な気がする。人間は群れて行動するから、基本はグループが出来上がる。でも家族はその人間にとって枷ではない。

今まで自分は家族だから~してあげなきゃいけない、~するのが当たり前のような考え方が強かったけど、家族からも逃げて良いんじゃないか?とそう思い始めた。家族だからって許せない人間性を無理やり認める必要はない。家族だからって八つ当たりしたり、挙げ句の果てに殺してしまうくらいなら、嫌なものから逃げてしまって良いんじゃないかということ。

虚しい考え方と思われるかもしれないが、逆に親は自分が助けられるために子供を産んでいるんだろうか?いろいろな生活様式や人生があるこの世界で、家族だけが法律的にもかなり重い繋がりを生みすぎている気がした。

思い悩んで辛いなら、逃げてしまおう。家族と言えども無理することはない。死にたくなるくらいなら諦めよう。これは悪くない考え方だなと思った。

もちろん、仲良く支え合って生きていけるならそれに越したことはないし、お互いに尊敬し合い、いつまでも愛し合いたいと願っている。しかし、すべて無理やりはめ込んで、人間が壊れてしまっては元も子もないのだ。

恋ばな

この節を読んで書いたのがこのブログ

blog.kaelae.la

↓の文章も好きだった。こんな風に考えてる定年のおじさんたちってまだまだいるんだろうなって感じたところが。

男には一週間だけ黄金の時間があるんです。公に仕事のことを忘れて、セックスだけしていい時間。それがハネムーン。それが済んだら、あとは定年まで仕事が待っている。オジサン達の気持ち、わかるなぁ。

特別な自分でいる必要はない

自分も特別でいたいと思うことが本当におおいので、改めて気がつかされた。

特別な自分なんて、絶対にないですよ。そんなの、幻想です。その人にしかできない仕事はたしかにあるけれど、それは普通の人が自分なりに工夫していって、時間をかけてたどりついたことで、そういう人は自分のことを特別だとは絶対に言わないはずです。

自分のことを特別だと思い込んでるのは、ある意味ギャグですね。自分は特別な人間だから、特別の車で特別の友人達と特別のレストランで特別の料理を食べる。よく考えると、相当おかしいですよ、これは。

特別であることと自分らしくあることは、似ているようで違うなと思う。自己中心的に考えるとかではなく、何かに優れていればそうでない部分も絶対にある。自分が納得できるやりかたで、誰かのためでなくやりたいことを突き詰めていくことが大切だと思う。すこし面倒なのは会社単位ではこの考えが合わないかなという部分。現にこう書いている人は多分あまり会社で勤めているイメージがない。そこはバランスを取りながらやっていくのがいいだろう。

 人間は、死ぬよりも怖いものをつくっておかないとダメです。

なるほど。死ぬより怖いのはなんだろう?

どんな本を読めばいいかと聞くな

前にブログに書いたが、自分の子供には、もう読み切れない世界中の本を少しでも良いものを読ませたいから、できるだけ自分が面白かった本を子供に読ませたいと思ってる。でもこの一文でちょっと考えさせられた。

読むうちに、自分が何が好きで何が嫌いかわかってくるわけですからねぇ。何も食べたことがない人に、これが美味しいよ、と言ってもわからないと思う

俺が思ってる読ませたいもまた、俺が読んだ本の流れの中で見つけてるとすれば、読ませたい本が読んで面白いとは限らない。だったら自分の好きな本棚と本を読む習慣さえ身につければいいだろうなと思った。

人間が悲しいと思ったときに心の中がどうなっているのかということは、ほんとうは言葉では表現できないものです。けれども、それを物語という器を使って言葉で表現しようとして挑戦し続けているのが小説なのです。「主題は何でしょう、二十字以内で答えなさい」というようなテストがあったとして、その二十字がまず浮んでくるのであれば、それは小説として書かれる必要性を持っていないと思います。(小川洋子『物語の役割』ちくまプリマー新書)

俺がこうだから面白いと説明できたとき、その本を読む楽しさはもうすでに失われてるのかもしれない。


長くなったけど、最後に気に入ったワンフレーズで締める。(引用の引用で申し訳ない)

十九世紀のロシヤのある有名な小説家も、そんなことがあったと見えて、そんな時には、ああ僕は今日は何も書くことがない、何も書くことがない、何も書くことがない、と書いていると、そのうちヒョッといい考えが浮かんでくるものだ、と述懐しているのを、私は読んだことがある。 (木山捷平「下駄の腰掛」 『鳴るは風鈴』所収 講談社文芸文庫)

ダメな自分をどれだけ理解しているか。それでも頑張り続けられるかだよな。さてコードを書かないと。

読書所用時間:約4時間
オススメ度:★★★☆☆