道産子エンジニア

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米原万里「ガセネッタ&シモネッタ」読んだ

ガセネッタ&シモネッタ (文春文庫)

ガセネッタ&シモネッタ (文春文庫)

前回の本を読み終わった時にサジェストされて、なんの前情報もなしに読み始めた本。

米原さんはすでに亡くなっていることを知ってなんだか寂しい気持ちになった。

ロシア語通訳という仕事をしつつ、作家でもあった米原さんの面白い人生のエッセーだった。

ガセネッタとシモネッタというのは自分の師匠につけたあだ名のようなもので、このタイトルに惹かれてしまい読んでみたものの、想像していなかった内容の面白さがあった。

本に一瞬出てくるのだけど、2000年初版なのにフォトジェニックと言う言葉がこの頃からあるのには驚いた。人間いつまで同じような言葉を使っているのか…

米原さんのものの考え方がすごくよくわかり、通訳という仕事から見えた異文化の視点から、たいていの人がいう「〜はこうあるべきだ」論はお前の言語でしか考えていなく、お前の文化でしか測れない価値観だろと叩きつけられる一冊だった。

よく多面的に物事を捉えるとか視点を変えるなんて話があるが、同じ言語、文化の中では変わりにくい視点を、外国語を知ることで可能になるだろうと主張している部分が多い。そしてすごく納得した。

特に現在の日本人は外国のことをほとんどアメリカ文化をベースに考えているという指摘にはぶったまげた。確かにそうだった。

その証拠に、日本語へ外国の何かを変換するとき、ほとんどのメディアでまずは英語に置き換えてから、日本語に変換する。

なので自分たちが思っている外国の原作は原典ではなく、一度英語に置き換えてから日本語に変換されたものがほとんどなのだ。これを国際化と呼ぶのだから滑稽だというのはなるほど説得力がある一冊だ。

その他にも、

この職業には向き不向きがある。時間のストレスに耐えられる図太い神経系と頑丈な心臓。一般に平時の心拍数は60〜70、重量挙げの選手がバーベルを持ち上げる瞬間、それが140まで上がるといわれているが、同時通訳者は、作業中の10分なら10分、20分なら20分ずーっと心拍数は160を記録し続けるのだから。

同時通訳者の日当は1日12万円なんです、7時間以内で。半日すなわち3時間以内で8万円です。国際通訳者連盟(AICC)というギルドがありまして、通訳条件の基準をつくっている。

など、通訳に関する驚きの事実ばかりだった。今はある程度変更されているかもしれないが。

要所要所に出てくる下ネタも秀逸なのでよかった。笑

下ネタは万国共通でウケるらしい。

インターネットと宗教は似てる?

「懺悔せずにはいられない」という節での話が面白かった。キリスト教が発展した理由は懺悔の文化にあるのだという。その本質は、いかなる人も自分の犯した悪事は絶対に誰かに打ち明けてしまうという部分だ。誰だって多かれ少なかれ自分のやってしまった悪事を抱え込んでいて、それを絶対に死ぬまで誰にも言わずに生きていくのは現実的ではない。気の置けない仲間や古くからの友人などに打ち明けないと気が済まないのだ。それを「牧師」という神の代弁者に「告解する」と変換することで発散していったのだ。

つい先日世間を騒がせた一七歳のバスジャック少年の場合は 、インタ ーネットのメッセ ージ ・ボ ードが 、懺悔を聞いてくれる司祭の役割を演じていたみたいだ 。いや 、そこを訪れる匿名の人々が 、と言い換えるべきかもしれない 。人間を恐れ 、嫌悪し 、憎みながらも 、人間に聞きとられることを求めているのが哀しい 。そう言えば 、インタ ーネットが人々を取り込んでいく勢いも 、どこか宗教に似ている 。

現在のTwitterがなかったころのエッセイだが、ふと、上の文を読んで、まさに現代人はSNSにポエムを書くことでインターネットの神に懺悔しているのではないか!!!とアハしたのだった。

結局のところ、人は誰かに話を聞いてほしいのだ。

言語批判する前に技術的節操のなさを持て

通訳の人が書く本でこんなことを考えるとは思わなかったが、これはプログラミングの世界でも同じだなあと感じた部分。

いま地球上で使われている一五〇〇 ~六〇〇〇語の言葉すべてを知りもせずによくも 「世界一豊かな言葉 」などと軽々と言い切るものだ 。もっとも一つの外国語もかじる程度以上に身につけていない人に限って 、こういう独りよがりを堂々と言い放つ 。彼女ほど有名人ではなくとも 、自国語は世界一豊かだと思い込む幸せな人はどこの国にもいる 。単に当人の母国語の知識が外国語の知識よりも豊かであるにすぎないのだが 。

これを読んでハッとする人も多いだろう。自分が個人的にやってみて好きなだけの言語を最高!!というスタンスは俺もあまり好きじゃない。それぞれの言語は使っている人たちの文化の中で育てられ、今もどこかのマシンで動いているのだ。

それらを差し置いて〜が最高というのは全くもって議論すべきではない些細なことではないだろうか。

こういった視点を持つにはやはり、他言語を学び、その世界の広さ、文化の違いを感じ取っていくことでしかないのだろう。つまり技術的に節操がない状態というのが望ましいように思う。もっと他の言語に浮気しよう。

モテない男は説明しがち

醜男でモテなかった二人には 、大長編がむやみに多い 。逆に 、美男で女にモテたツルゲ ーネフもチェ ーホフも短編 、中編を得意とした 。作品の長さと作家のモテ度は反比例する 。そういえば 、誰かが 、 「作品の長さは 、作家が女を口説き落とすまでにかかる時間に比例する 」とか言っていたような 。

なるほど。醜男の二人とは「ドストエフスキーとトルストイ」のことだ。カラマーゾフの兄弟を読もう読もうと思っていても手が出ないのだが、思いがけない話を読んでしまった。笑

美しい日本語を話す孤独な人

書店に足を運んだ際、米原さんは言語の書籍コーナーにはびこる「美しい日本語うんぬん」の本に対してこう思うそうだ。

不快感の要因は 、つまるところ 、そこにある 。言葉は 、その言語を共有する共同体全員のもの 、日本語は 、日本語で生活するすべての人々の共有財産なのだ 。

上に書いた言語批判にも通じるが、そもそも美しい日本語ってのがなんなのかようわからんよなというのはもっともだ。

言葉は 、絵を描くときの絵の具の色 、曲を奏でるときの音色 。世の中の森羅万象 、それに複雑怪奇な人の精神を描きつくし 、伝え 、分析し 、解釈し 、称え 、批判し 、呪い 、祝福するためには 、美しく正しい言葉と言葉遣いだけでは到底まにあわないというものだ 。

清濁併せ呑むではないが、どの世界に言っても自分たちだけの共通言語ってのはあるし、それこそがコミュニケーションを支えていたりする。その意味で美しい言語のみを話す人は、他の人とうまく意思疎通ができずに孤立化していくのだろうなと感じた。

映画より活字の人

俺的には好きだった「レ・ミゼラブル」などの名作映画に対して批判していて、その原因は原作を原典で読んでしまっているからという。

若い頃 、文字から映像を立ち上げて 、自分の頭の中のスクリ ーンに映し出す筋肉を作ってしまった人には (わたしも 、どちらかというと 、そうなのだが ) 、活字の方を好む者が多い

人の脳の想像力は恐ろしい。如何様にでも自分の好きなように世界を作り変え想像し、脳内に世界を創造するのだ。自分の想像力が映像に追いついていないとき、人は映像を面白いと感じ、逆もまたあり得るのだなと思った。 だが、俺の持論では情報学におけるエントロピーは確実に文字よりも映像のほうが多いし、映像には音や肌にぶつかる振動もある。そういう意味では映像の方がより創造をかき立てやすいと思う。 明らかに原作の方が面白いということはあるが、どの場合も原作の小説が面白いなんてことはないだろう。

しかし、映像にも欠点はある。それを以下のように指摘していた。

子供用 、性教育用 、性欲処理用と目的別に情報を切り刻み 、手軽に吸収できるよう嚙み砕いた (ダイジェスト )商品

これは小説が男女の性欲などについての文脈で、子供用に置き換えた文章やAVについて言っている。

確かに、映画は小説の全てを支えるには短すぎる。(逆に考えると情報をうまく圧縮できているのだが)そのため、面白い部分を取り出して映像化するという特性がある。三幕構成などはそうだ。

そこで落ちた情報が本当の面白さの部分である場合、人は映像に落胆してしまう。

ダイジェストではなくオリジナルを子供に与えよう 。難しすぎる 、なんてことは断じてない 。種はその存続を使命とする 。少年少女時代に芽ばえる性に対する好奇心は 、その種としての人間の本源的な欲求から発しているから 、これほど強烈なものはない 。分厚い古典本も 、難解な表現も破竹の勢いで読み進ませる力を 、それは持っている 。そして 、性に対する好奇心が薄れた後も 、その頃知らず知らずのうちに身につけた読書癖と速読術は 、一生の道連れとなる 。

確かに自分も昔、エロ本(漫画に限らず)が読んでみたくてしょうがなかった頃がある。そしてその欲求は圧倒的力を持っていて、読書が苦手な自分を読み老けさせることができた。

結局のところ、同じ作品をいろんなメディアを通じて見てみるしかないのかもしれないが。


読書所用時間:約4時間半
オススメ度:★★★★☆