道産子エンジニア

悲観主義は気分に属し、楽観主義は意志に属する

「〜でいい」が「〜がいい」に変わるとき

雑に言うと情が伝わる瞬間は、自分の「〜したい」や「〜がいい」という意志がはっきりしてきたときだという話。

最近は「婚約ブロードキャスト」(婚約したよと言いふらす)を飲み会やら久しぶりに話す人などに行っているわけだけれど、よくよく聞かれるのは「決めてはなんだったの?」ということだ。

婚期を逃して妙齢を抜けないためか、女性からよく聞かれることが多い。(失礼)

けれどいつもここで困る。もちろん、決める理由がなかったという意味ではなく、具体的に「ここがこう良いから」と思うようなものじゃないだろうということだ。ある日、突然、天啓のごとく舞い降りるわけでもないし、美味しいパスタ作ったからといって決めることもない。それはただの恋だ。(あの曲、歌詞では愛の歌とあるがタイトルでは恋の歌)

みんな勘違いしていると思う。結婚の決め手など具体的にわかりやすく存在しているなら、自分だって発見できると思わないのだろうか。(ある人もいるんだろうけど)

むしろ、積み重なったそのすべてが自分にとって大切であるからこそ、受け入れられるからこそ、そう思うのだと思う。

とはいえ、じゃあ何がそう決意させるのか。それは自分の明確な意志の変化だと思う。俺はこれまで40歳くらいまでは結婚なんてしなくていいと思っていたし、漠然とそうなると思っていたし、何より「それでいい」と思っていた。

でも大事なことは「〜でいい」ではなく「〜がいい」と思うことじゃないか。明らかに決意して、「結婚をするなら今の相手がいい」と思った。自分に問いただしてみるとすぐにわかる。この人なら「〜してもいい」とか「それでいい」みたいなニュアンスは弱い。

「〜がいい」になるとき、愛情、友情、感情は溢れて、気持ちを超えて相手に届くのものだと思う。 あなたは誰となら「〜がいい」と思うか、考えてみてほしい。

そして、この話は絶対に飲み会でウケないから、話さないためにもブログにして満足している。