道産子エンジニア

悲観主義は気分に属し、楽観主義は意志に属する

技術書典5で本を出した

大盛況だった技術書典5で @morishitter と @1000ch と一緒に馬クラッカーというサークルで「Fictions」という本を出した。

この作品はフィクションであり、実在する、人物・団体とは一切関係ありません。ですが、このポエムがいつかの自分や読者の怒りを閉じ込めて、より良い開発現場を目指すための「何か」になることを願って、今日も書いています。

とジャンル詳細には書いているが、実際は自分たちの経験を元に書いたリアルな「ものづくりをする職人」としてのポエムを集めたものだ。俗に言う「エモ散らかしてる」やつだ。

Kindle本Boothgumroadの三つで電子版を用意している。

Fictions

Fictions

今回やってみて、考えていたことがいくつかある。

ポエムは技術書か

販売していて何度か「ポエムかぁ」と読まずにスルーした人がいて少し悲しかった。大衆にウケると思って書いてはいないが、それでも少しくらい読んでみて欲しかった。たくさん気になる本がある中で、そんなことできないのはわかっているけれど。ポエムというキーワードの印象があまりにも「技術的」でないことが、参加者のモチベーションとマッチしなかったのだと思う。その証拠に、一時間ほどPOPに「エンジニアのためのライフハック術」と書き直したものを掲げて販売してみたら、ポエムと書いた時より手に取る人が増えた。

この本を書いている時に、この本を一言で表すのが難しくて、タイトルやデザインについてみんなで悩んだ。途中でエッセイ集と言ってみたり、詩集と言ってみたり試行錯誤したのだが、今改めて言葉を調べて整理してみるとやはりこれは詩集、つまりポエムで正しいと思う。

まずエッセイと詩の違いは解説しきれないほど諸説あるので、ある程度調べた自分の認識でわかりやすく言えば、エモいことを書いた散文をエッセイ、それを読んで印象に残る工夫したものがポエムだと思う。そしてこの違いが技術書典において需要なポイントであると考えている。

次に技術書とはなんだろうか。技術書典5のサークルリストにある幅広いテーマをみてもわかる通り、ここでの「技術」の意味は、エンジニアが開発に使うツールやプログラミング言語のような狭い意味ではなく、あることを行うために必要な知識、またはその方法論を指しているようだ。つまり、開発技術のことではなく、もっと広い「あるテーマに関する何かの技術」について書かれた本であれば技術書と認められるように見える。

ここで重要なのは、ポエムとは文章の文体であり「表現スタイル」の一つであることだ。一般にポエムというものの認識がおかしく、ポエム=エモい文章=「技術についてかかれていないもの」という誤認識されているように思う。特にこれは小説を読まないと誤認識するのではないだろうかという仮説もある。小説を読む人は「〜っぽい書き方」というものを感覚的に持っており、それを好きになり、書き方は作者の技術であることを知っているのだ。

そして、Fictionsは「開発現場でいいものづくりをしているか?」を思ったら読み返すと「〜すればいい開発ができるかもしれない」ということが明暗に示されているマインドに関する技術の本であり、その表現スタイルがポエムであるのだ。

多くの人は技術に関する How to が書かれたものだけを技術書と考えているようであり、ぱらりとめくっただけで、文字が並んでいるだけの本書を技術書と感じ取ってもらえなかったようである。morishitterはこの活動についてアートだと書いているが、ポエムでも技術書たることを提起したという意味で俺も同意である。エモい話を雑に書くのは増田かブログでいい。本書は読み返せばどうしたらいいか?正しく進められているか?を思い返すことができるポエムなのだ。

詩はバイオリズムに乗り、人々を通じて広がっていく。

本の良さと売れるかは関係がない

会場の熱気、人の多さ、売る側のサークルも含めた活気、これらが相まってなんだか売っているだけで楽しかった。それはまるで祭りだった。あのエネルギーの中では皆会場の雰囲気に飲まれまいと踊る。買い手は目につく面白そうなものを手当たり次第買ったり、欲しいと決めてきたものがなくなる前に他には目もくれずに駆け抜ける。売り手は少しでも多くの人に自分たちの知見を広げ、あわよくば儲けて、有名になりたいという一心で声をあげる。素晴らしい雰囲気だった。みているだけでニヤついてしまっていた。

けれど、気持ちとは裏腹に自分たちの作品に関しては、自分が金を払ってでもいいから誰かに読んで欲しかった。そして何よりも大事なのは、その気持ちを押し付けたくなかった。参加方法として間違っているかもしれないが、批判を受け入れてまで売りたいと思っていなかった。というより、売りたいと思っていなかったのだ。

周りと比較すれば、明らかに「やる気がない」と思われたかもしれない。というのも勝手がわかっておらず、作品の上手い見せ方を知らなかった、準備が足りなかっただけなのだが、ポスターや売り場の準備もなく、手書きのPOPだけだった。しかし、表紙と中身にはちゃんと自信があったし、軽く読めば買っていくだろうと思い込んでいた。しかし、現実は違った。というか、よくわからなかった。

ポエムからライフハックと書けば読んでくれたり、じっくり読んだのだけれど買わなかったり、パパッと数ページめくっただけで買っていく人もいたりした。もはや、買うかどうかの決め手など気分や雰囲気なのではないだろうか。もしくは、余った小銭を無くしたかったとか。

万全の準備をしていた周りのサークルはみるみる本が売れていき、開始数時間で完売していた。Fictionsも112/200と半分以上は売れたが、なんの準備や宣伝、声がけもしていない。近くに来た人がもし読みたそうにしていたら、見本を手にとってもらって、「エッセイ集」だの「ポエム」だのよくわからない説明をしていただけだ。中にはある文のタイトルが刺さったと言ってくれて買っていく人もいた。そのときはうれしかった。

ゴミでも売れるとか、良い本だから売れたとか言いたいわけではなくて、本の良さは読んだ後にしかわからないから、買っていく瞬間には動機付けしかできないといいたい。そしてそれは本を書くことにはなんの関係もない別な技術なのだ。マーケティング的に言えば売れる努力をしなければ売れないのは自明なのだが、上にも書いた通り、自分が金を出してでも誰かに読んで欲しかっただけで、売りたいとか儲けたいと考えてなかったのだ。もっと売るにはどうすればいいかというのは別にいろんなことが思いついた。衣装や売り場自体をデザインする、セールストークをする、刺さる、気になるキャッチフレーズを添えるなどなど、つまりこれは広告だなと。

大量に売るための効率とか、売り場の工夫とかそういうのもどんどん思いつくけど、俺は最悪無人で良いとすら思った。しかし、それでは祭りの意味がない。踊らねば損なのだ。だからこれからも、自分が楽しくなれるように踊りたい。


サークルメンバーのみなさん、買ってくれた方、付き合ってくれてありがとうございます。感想お待ちしております。 次は How to 本をちゃんと書いてみようと思う。

1000ch

1000ch.net

morishitter

moristapaper.com