道産子エンジニア

悲観主義は気分に属し、楽観主義は意志に属する

僕は今日もブログを書いている

TLにはセルフブランディングが得意な人がたくさんいて本当にすごいなあと日々感心する。

やはりフォロワーを集めるには特定のトピックを大衆向けに書き続けることが大事なのだろう。

なぜだろう。

僕の持論では、人には根源的に「何かを集める」ことで快感を得るからだと思う。

それは物理的なものや経験、知識のような概念までなんでもありで、あることを収集する。好み、といっても多分違わない。

TLはるつぼ。自分が得る情報を自分好みのもので集めて混ぜる。できれば、あるキツい一色に染まらないように、鮮やかなヘンコウで輝かせたい。塗りつぶしてしまいたくもない。

だからまぜものはピュアであるほうがいい。僕はそう思う。ピュアはわかりやすくて、キレイだから。

だからセルフブランディングしようと考える。すごく正しい。わかりやすいことは誰にとっても優しい。優しい世界はみんな好きだ。

僕自身も意識している。こういうことを考えている人、あの界隈の人、あれができる人、こんな面白い人。なってみたい。

でも僕は弱いから、めげそうになる。誰が見ている?どんなふうに感じる?誰かを傷つけない?不快に感じる表現じゃない?こんなこと誰かの役に立つ?

言葉や文章はそれくらい力があるから、どうしても気になってしまう。

何度も諦めている。もっと徹底して追い込んで、強く見える人がTLにはいっぱいいる。まだFF外から失礼されてない。

ふと、なぜこんなことをしているんだろう。誰かを幸せにできるわけでもないのに。と思ったりもする。

でも、発信してないやつはダメだ、人となりがわからないとかいわれてしまう。とはいっても、自分には書けるような実績も無いし、何か人の誇れるようなこともない。こんな自分の記事を誰が読むんだろう。そう思って今日もラップトップを閉じてしまう。

結城浩さんはそんな考え方とはまったく別な答えをくれた。

togetter.com

原点は上だけど、まとめられたいい記事がある。

mm.hyuki.net

人生には「そのときにしか書けない文章」というものがあります。もっと経験を積んでから書くのではない。もっと勉強してから書くのでもない。経験を積んでから、勉強してから書いたのでは意味のない文章です。

それは「いまの自分」にしか書けない文章です。「いまの自分」が書かなければ、世界中の誰も書くことができない文章。未来の自分にも書くことができない文章というものがあるのです。

今、この瞬間を生きている自分にしか書けない文章がある。セルフブランディングは未来の自分への投資だが、それは決して優れている自分だからできることではない。むしろ成長した自分には書けない文章すらある。

人が考えていることはとても複雑だ。そのときに得た膨大な経験の積み重ねと小さなきっかけで思想は生み出される。

その人生の刹那、一握りの感情、たった15分の本番、それを残していきたい。

小さいときの楽しかった記憶をどれだけ鮮明に思い出せるだろうか。写真に感情が写せるだろうか。

そう気がついたとき、僕はどんな形でもいいからブログにしたいと思った。

自分が最初に書いたブログを見返してほしい。とりとめもない一節から、多くの感情が思い起こされる。

6年前、見様見真似で始めたアドベントカレンダーは今もこうして当時のまま残っている。

adventar.org

拙い文章をだなと思いながらしかし、今の自分には書けない文章であることに気がつく。

社会人になった当時、誰の目を気にすることもなくただ書き残したあの頃を思い出して、僕は今日もブログを書いている。

職場のためでもいい、家族のためでもいい、同期の付き合いのためでもいい、今だから書ける文章を書いている。そう考えれば気が楽になる。

気がついたら、いい文章だね、面白かったよ、あれはよくなかったね、ちょっと書きすぎなんじゃない?なんていろんな声が聞こえてくる。

ああ、みんな僕の勝手な人生にブログを通じて繋がることができるんだ。だから、書く。

ブログじゃなくたっていい。ツイートでもメモでも日記でもいい。

だから、アドベントカレンダーではじめてみるのも悪くないと思う。

f:id:yuichi31:20191202002757j:plain