俺の中で今年の最後の本にしようと思ってゆっくり読んでた.
(その間に数冊浮気したけど)
この本は面白い.感想聞かせてと言われたし,書き残したいから書く.
前からよく人間は本能に制されていると考えていて,脳の話って読んだり見たり聞いたりするのがワクワクして好きだった.
この本がなぜ面白いかは,自分が今まで知ってきた断片的な情報や知識の集まりをゆっくりと答え合わせしていくような感覚が持てたから.あぁ〜あれがそういうことだったのかと.
ちょっと概念的な話になるけど,
神を作ったのは人間だから,神が人間を作ったのは人間の作り話.
しかし,人間は自分の理解できないこと神に頼らざるを得ない.
「人間がなぜ生きようとするのか」みたいなことが論理的に解明できる日がくるのか,生命が滅びるのが先かどうなんだろうか.
そもそも生命体はなぜ生きようとするのだろう.原子は存在するだけなのに,原子が集まって分子,細胞,生命体になると突然「生き続ける」ようになる.
じゃあ原子も生きようとしているのか?もっと踏み込めば,電子が意思をもっているのか?という話.この前少し話したら,原子が集合した結果だと言われたけど.なんかしっくり来ない.
本の中であった,「10円を平等に100人に配り,みんな同じルールで1円を一人か二人に渡していくゲーム」で,このように平等なルールで制御しても金持ちと貧困に分かれるってやつ.
もしかしたら,「生きようとする」とはたまたま出来上がった生命の法則で,本当は無機質な物質になった可能性があったのかもしれないな.とも思う.多細胞生物のように繁殖を行うのは複雑だから,単細胞生物で考えてみると,アメーバとかはなぜ細胞分裂を繰り返すんだろうか.
質量保存の法則がこの世界のすべてに適応できると考えると,生命が行っている分裂,破壊とかはすべて一定の原子の量が移り変わっているだけだと考えられる.なんで積極的に自分と同じ生命体を増やそうとするのか?この世の原子は電子の奪い合いをしているだけ?それとも一定の原子の中を飛び回る電子達の揺らぎが世界を想像したのだろうか.
一つ考えたのは,
元々存在したAtomという大きな原子が「神の気まぐれ」である日,核分裂を起こした.
それから世界はまわり始めたのではないか.Atomは慣性の法則に従って,元の姿に戻るために一つの生命体となろうとしている.なんちゃって.
脳を科学するということは,生命の指令系を仕組みを探ることだと思うけど,指令系の心理がわかることで生命のHowはわかるけど,Whyはわからない.池谷先生が最後に「科学ではわからないナニか」を探るのが快感だと言っていたが,生命体は常に進化(変化)しているから,その小さな変化を分析し続けても心理に到達できないような気がする.
科学することはしばしば人間を没頭させてしまう魅力がある.
それは科学することが本能的に良いことだと指令系がプログラムされているからだと思う(人間にとって必要で吸収が速い栄養素は甘いと感じるように).Atomは自分がもとに戻るためにできるだけ力強く繁殖するための感覚を生命にとっての快感にしたのかもしれない.
なんていうのが俺の見解.
ちょっと概念的な話から逸れて,面白いと思ったトピックをいくつか.
才能とは物事を楽しめること
自分は頭が悪くて才能も無いと昔から思っているのだけど,この本にあった「才能とは何か」みたいな話のところで,一般的には「努力しなくてもできる=才能」とか「努力を続けれる=才能」のようにとらわれがちだ.でも本で書いてあるとおり,才能はそういうのをひっくるめて楽しめることも大切だって書いてあって納得した.
マンガ「のだめカンタービレ」では,主人公のだめが素晴らしいピアノを弾く才能があるけれど,「華々しい舞台にたって音楽の才能を開花させることがやりたいことでない」「保母さんになりたい」と葛藤するのだめが音楽の楽しさや,魅力を学ぶに連れて成長していく物語だ.ここで「才能」が葛藤しているところが同じだと思う.
つまり才能とは「何かをできる能力」と「それを楽しめる気持ち」がないと開花しないんだということ.
だから,俺も何かの才能があるかもしれないけど,今までやりたい!と思える能力を発見できていないだけなのだと思った.それを発見するためにももっと色んなことにチャレンジする甲斐があるなと感じた.
最近の研究真っ盛りな時期を生活している中で,あぁ,そうだなと感じたのは考える時間が少なくても,多くてもよいアイデアが思いつかないという内容.
学習環境のマンネリ化とか,思考方法の偏向ってこれが原因だと思う.
だから,違う場所で勉強する,気分転換にゲームする,本読んでみるとかいいんだなって.同じことをずーっと考えてると疲れるし,同じことしか考えれなくなる.
自分は集中力が低いってわかってるんだけど,考えが固執するのが嫌いなだけなのかもしれないと思って楽になった.同じことを考えずに繰り返すのが得意な人っているけど,俺の仕事ではないなと改めて認識した.
俺はこのやりかたでいいんだ.集中できる生き物って人間だけだけど,俺は野生的に生きていたいと思います.
この本でうさぎさんがエヴァの話とかまどマギの話を持ち出してて,この本の内容が書かれているのが2011年頃だから,俺もちょうど留年して暇になって,資格とり遊びしたり,マンガや書籍を読み漁ったり,映画やアニメや音楽の幅を広げまくってた時だ.
書籍はバカの壁とかちょっと前に流行ってた新書を読んだり,村上龍にのめり込んでた時期.映画とアニメはアホほど見た.(コピーしたDVDが数百枚ある)
けいおんはあんまり面白くなかったけど,その頃まどマギをみたんだ.
本では攻殻機動隊の話もでてて,うんうんって読んでたんだけど,
映画のマトリックスがこの辺に通じる世界だと思う.
まどマギもマトリックスも世界の裏の法則に気がついた主人公が壮大なスケールで世界の平和へと導いていくんだけど,その裏の法則というのは人間が作った結果だったりする.
マトリックスのモーフィアスはネオが救世主だということを信じていた.
そしてネオが覚醒を始めたときこういった.
"He starts to believe himself."
俺はよく,自分の考えを人に言いふらすようにしている.
それは自分へのプレッシャーとなり,周りからの期待となるからだ.
確かに失敗することもあるけど,本でもあったように,強く信じることはそれを叶える手段だと俺はいつも思っていた.
この頃読んだGIGAZINEの記事に
いつ来るか分からない15分のために常に準備をしているのがプロ、デザイナー奥山清行による「ムーンショット」デザイン幸福論 - GIGAZINE
こんなのがあって,奥山さんは函館で講演されたので実際に見に行ってきた.招待してくださった学長に感謝.
(長い記事だから時間があれば見てね)
そこでも,自分の考えを周りに共有しておかないと,世界中に転がっているチャンスに気付けないようなことを言っている.
英語で「Moon shot」とは到底無理なバカなことをいうみたいなジョークのことなんだけど,そうしておかないと自分も自分の周りの人もチャンスに気付いてくれないんだ.
この本で強く念じることがいいってのは,実際に念じると自分が行動を起こし始めるから良いことなんだと思う.それを脳科学的に証明してくれて嬉しかったしすっきりした.
結局壮大なスケールの物語で一貫しているのは「善か悪か」はうまく溶け合っていて正解がないということだと思う.少し前に流行った,ハーバード大学のマイケルサンデル教授が書いた,「これから正義の話をしよう」って本があったけど,そこでは本当の正義とは悪にもなるし,悪は誰かにとっての正義になるというようなことだ.
よかれと思ってやっているのは所詮自分のエゴなのだとわかる.
「君のためにやったんだ 」じゃない
「自分の大切な人や何かを守りたい自分のためにやったんだ」が本当だ.
みんなそんな自分から抜け出せない.欲望には勝てないんだ.
欲がない人は「無欲への欲求」を満たしているだけだ.
ではいけないことなのかというとそうでもない.
しばしばSFを見すぎた現代人は善悪をマイノリティやマジョリティで決めてしまうけど,すべてはバランスだと俺は思う.
太極図と言えばわかるだろうか…パレート則というだろうか…
そもそも善も悪も存在しているからこそこの世は成り立っているということだ.
脳はそのバランスを無意識に把握できているだけなのかもしれませんね.
自分探しはするな
おわりにでうさぎさんのあとがきがありましたが,俺はどうも「自分探し」というのに疑問しか感じない.大学の先生も「自分探しはしなくていい,そこにいるじゃん」っていうんだ.キリストやまどマギでいう魂の器としての体,魂は別だっていう.ハガレンとかガンツでも体は物質の集まり,21グラムの情報が移動しているとかいう.
まぁそういうのは(今は)科学的に証明できないからこそ,昔から輪廻天性とか神頼みにしてきてて,「自己」とは何だろうか常に研究されている.
俺的には万物は流転するので,そういった物理的なものから精神,哲学的なすべても流転していると思うのです.なので,自己とは日々変わり続ける自分という認識であって,自分はこうだなどというのはわからないし,明日には変わってるからこそ面白いじゃんと思うんです.
だから,「自分は探すな,今の自分を信じろ,明日は明日の自分を信じろ」で良いと思います.旅は自分より,世界や文化や他人の美しいものを探してするべきだと俺は思う.