道産子エンジニア

悲観主義は気分に属し、楽観主義は意志に属する

池谷裕二、糸井重里「海馬〜脳は疲れない〜」を読んで

 

海馬―脳は疲れない (新潮文庫)

海馬―脳は疲れない (新潮文庫)

 

 

 

本を読む→感想を書く→公開する

 

このサイクルはきちんと早めに行うこと。でないと本を貸してくれた人に申し訳ない。

しかも記憶の定着にも悪い。ただ、可塑性による情報の淘汰という観点から見ると、思い出せない=思い出すほど大事ではないのかもしれないと考えてしまうのは良いのやら悪いのやら…

 

 

 

さて、今回は海馬について書かれた9年も前に発刊された池谷先生の本を読んだ。

 

最近はもっぱら会話の中に「脳科学的にも〜だから…」という言葉が癖になってきた。

 

自分の体の仕組みを知ってから行うすべての行動は「〜だから」と納得ができるため好きだ。これはなぜ?という不安から自分を解放することは大きな意味がある。(すべてに答えを求めるわけではない。カオスが楽しいときもある。)

 

アメリカ海軍の中でも超絶エリート集団であるNavySEALsは、訓練の中で酸欠による昏睡状態をわざと起こす。これに似ている。

Navy SEALs - Wikipedia

 

脳は単純であるので、仕組みがわかるだけで日々の暮らしが大きく変わる。見える世界が変わる。そんな気がしている。(これこの後何回も言うよ)

 

 

研究者のキャリアパスについて「30代まで研究し、40代からは管理にまわる」と書いてある。メーカーなどの大企業でもそうだが、この風土はどうしても気に食わない。

 

若さは武器だ。失うものが少ないし、失敗しても立ち直る時間が十分にある。人間のタイプによるかもしれないが、俺は泥臭く、何度も失敗して学んでいくタイプだ。

 

なんでパワーもやる気もある若いうちに、失敗しないように訓練するのか。

成功は次なる課題を生むが、失敗は成功へのヒントを生む。

失敗しなければ成長もしない。

また、年代に関係なく前線で働きたいし、いつまでたっても「あの人には勝てない」という人間になりたい。「管理職にまわる」という表現がおかしいと思うのだ。

仕事の内容が「管理にも及ぶ」のが正しい。

 

生きるのに慣れず、童心を忘れない。そういたい。

 

30歳を過ぎると、脳内ネットワークの繋がりが密になるという話。親父ギャグが頭に良いと茂木さんがいうのもこれだろう。昔読んだ本で「20代で人生の年収は9割決まる」という本があった。ここでは30歳までに仕事でホームランを打つべきだと書いてあったが、これも自分の脳のインフラ整備と言えるかもしれない。たくさんインプットして、30までに備えることは大切だ。けど、アウトプットもしないと脳は鍛えられないので厄介だ。

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糸井さんの言うように、センスとは学べる。多くは「模倣」から始まり、徹底的に基礎をこなすことでしか「新しいもの」は生み出せない。マッシュアップ、掛け算など呼び方は色々あるが、大量の新しくないものが集まってようやく「新しさ」が見えてくる。夢は見たことのあることしか見れないことを例にあげているが、脳の断片的な記憶のつなぎ合わせがそもそも「新しさ」なのだなと。自分はこの辺が本当に苦手だからもっとストイックに勉強しないといけない。

 

面白いなぁって思ったのは「30歳の誕生日に何をしているかで一生がわかる」という話。まぁ言い切れる根拠は少ないけど、確かにそうかもしれないと思える。自分は30歳までに役員になるという目標があるし、それがどんな結果であれ30歳は大きな節目にしたいと思っている。多分、家庭はないのだが男として少しは成功していたいし、世界中に恩返しをし始めたい歳だと思っている。(なんだか根性論ばかりだな…)

 

昔から「夜更かしは脳に良くない」「テレビを見すぎると目が悪くなる」みたいなおかしな理論が存在する。注意の本来の目的は違うかもしれないが、幽霊におびえるのと同じである。もっとなぜよくないのか、悪くなるのかをはっきりしてくれないと自分は納得できない。脳細胞については、本を読んで答えが出た。夜更かしするとではなく、脳細胞は常に死んでいっている。海馬が必要か不要かを判断した情報を受け取る脳細胞は、全体のたった数%なんだ。そもそもめちゃくちゃ無駄に脳細胞はあるのだ。

 

確かに、生活リズムがよくないことはパフォーマンスを下げる。けど、夜更かししても、寝ていても脳は活動しているし、脳細胞は死に続けている。そして脳は疲れない。

「脳が疲れる」という言い方自体が間違っている。常に入力を待ち、情報の取捨選択をし続ける奴隷としての脳は働き続けることが普通なのだ。これがわかっただけでもなんだか世界は晴れ晴れとして見える。糸井さんと行っていることが同じだが、ようは知っていることが重要なのだ。

 

これさえ知っていれば、自分の勉強法や休憩の仕方が大きく変わってくる。

脳は常に動いているのだから、脳を休憩させる必要はない。ただ、思考の偏りを生まないように体の疲れを癒しながら作業すれば良い。勉強する環境を変えると捗るのはこれが関係しているのだと言える。ほかにも、増井先生の「シャワーで閃く説」や糸井さんと進藤の「車の運転中に閃く説」などもこれが原因だと考えられる。自分も悩んでいるときは散歩したりする。ただ、思いついたときにとっさにメモしないと忘れてしまうこともあるので注意している。

 

脳は同じことを繰り返すのが苦手なのだから、マルチタスクの方がいいんじゃね?!

って早計してしまった。中島学長も「同じことを集中していられるのは20分くらい」とおっしゃっていたので、自分も集中短いからなんだか嬉しくなったがちょっと違った。ずーっと考え続けるのはへたくそだけど、やる気と思考をコントロールするなら「区切りの良いところからあと少し進める」ほうが良い。こういうことだと思う。

 

自分も含め、集中力が短い人は「飽きっぽい」のだ。世の中ではあまり良い意味でとられないけど、糸井さんがいうように飽きっぽいアホなやつが世界を変えてきたんだ。働き蟻の法則とかTEDで使われていたSasquatch music festivalのアホなダンスをみんなが始めるのに似ている。

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重要なのはどちらか片方だけではいけないことだ。

自分もいつまでも「アホで何かを起こす人間」でいたいと思うので、苦悩が続くけどこれを励みにがんばれる。

 

今新天地にきて少し思うのは、確かに都会は無意識に入ってくる情報が本当に多い。

だが決して、函館が都会に比べてつまらない街だったとは思わない。

 

札幌から出戻りした友達が「本当に函館って何もないなぁ」って言葉が頭にきたんだ。

 

脳は刺激がないことに耐えられない。情報など入力を与えないと死んでしまう。

函館という街が都会に比べて情報、もの、人が少ないことは認めよう。しかし、何もないことはない。それは自分がうまく刺激を手に入れれないだけだ。といいたい。

 

学ぶ気がない人に学ぶ気を出させるほど暇ではないので言及はしなかったが、実に残念な思考方法、発想力、想像力、実行力だと思う。

俺がお金を払ってアトラクションに乗るアミューズメントパークが嫌いなのは、人に作られた楽しさのようなものだからだ。

山登りにいき、山頂から自分の街を見下ろすのに勝る気持ちのよいことなどない。バイクにまたがりいつもと少し違う道を走って切る風より爽快なこともない。いつもの世界にしか見えないのは自分の脳に問題がある。

そういう人は己から成長することはまずないのだと、本を読んで納得した。

ディズニーランドに何度も行く人の気持ちが全くわからない。より鮮明できらきらとした楽しさを求めるならば、与えられるのではなく探しに世界を旅するほうがいい。

小さな街でさえ、何年かかっても新しい発見がある。そう知っているからこそ、都会も新鮮な目で見れる。函館という街と気づきをくれた友人に感謝しよう。

 

終わりの方に「目的は一つに決めない」という節がある。

最終目標が明確なほどつまらなくなるという話だが、少し考え方が違う気がした。

目的と目標の話を中島学長が卒業式でしていたが、目的はとてつもなく抽象的な存在で良いと自分は思っている。一つに決めるとかではなく、叶いそうもない途方もない想像をするのが夢や生きる目的みたいなものだ。それに対して、今の自分ができること、いつまでの自分ができているべきことが目標だ。やりかた、進めかたは無限にあるが、期間を設けた実現可能性があることが目標だ。だから、目標は明確であるべきで、目的や夢は抽象的でいい。そう考えると、今やるべきことと常に考えていたいことが整理できて、メリハリのある行動になる。そう感じた。

 

 

海馬を読んでいて、以前の「脳はこんなに悩ましい」のときに比べて、がつがつと読み漁る感覚がなくなった。脳の仕組みについて、知識と照らし合わせてできるだけ純粋な学びを得たくて読んだ。本の雰囲気は、糸井重里の語り口調なども面白いが、前回に比べて池谷さんはデータベース化していなく、糸井さんの発想を吸収して昇華させるのに徹しているようであった。盲点の実験なども部屋でやってニヤニヤしてた。認知心理学以来の盲点の実験だった。

 

脳についてもっと知りたい。

脳の仕組みを理解した上でより人生を楽しみたい。

そう思ってきている。