俺は基本的に聞かれないと自分の趣味について話さない。*1
ブログは自分のメモなので、思う存分趣味について書いているのだけれども。
よく、料理ができる人みたいなこだわりや趣味がある人に対して「そういう人は面倒くさそう」「一緒に生活しにくそう」なんていう人がいる。
自分よりも何かに長けている人を疎んじる気持ちは誰にもあるものだ。
でも、俺的には好きなものを持っている人を面倒くさいと括ってしまう人の方がよっぽど面倒くさいのだ。
その人は自分の思う型にハマらないことを面倒くさいという。
その人は自分の思う型にハメてしか人を評価しない。
その人は自分の思う型に自分をもハメて生活してしまう。
人が何かを熱心に好きになって、知識を学び、技術を磨き、没頭してしまう。この営みをどうして面倒くさいといってしまうんだろう。
それにはもちろん、ハマった人たちが余計なことを話すぎてしまうせいもあるだろう。
たまに、話すぎだろ?って思うことは俺にもあるし、自分のことばかり話すぎないことはコミュニケーションにおいて重要なことである。
でも、「面倒くさい」って言われて嬉しい人はいない。
「熱心なんだね」とかちょっと機転を聞かせて「好きなものって語りがちだよね」なんていえばいいことじゃないのかな。
俺はい面倒くさいと言われる人たちが面白い話をしてくれるのがいつも楽しみだ。
恋人にはしたくない?のかもしれないけれど、何にも熱心になれない人は自分にも熱心になってくれないかもしれない。
そんな風に考えれば、多少の趣味だって愛おしく感じれる相手こそ、自分は熱心に愛しているかもしれないと気がついたりする。
熱心に恋人の話をするあなたを面倒くさいという人はいるだろうか。
こんなことをつらつら書いてる自分は、相当面倒くさいのだけれども。
*1:ただし1聞くと10返してしまうのはご了承いただきたい。極力気をつけている。