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道産子エンジニア

毎週好きなこと書きます。

ダン・アリエリー「予想どおりに不合理」を読んだ

予想どおりに不合理: 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

予想どおりに不合理: 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

4年くらい前に大学の師匠に教えていただき知っていたけど今まで読んでいなかった。 ロンドン中に読んだ2冊目で、行動経済学についてと人間はどんな生き物かがわかる本だった。

人は自分がしっかりと自分をコントロールして、すべての意志決定は自分の思い通りになっていると 勘違いしがち である。これは認知心理学について調べていたり、脳科学の本を読んでいるときに嫌というほど書かれていることだが、人間は(というか脳は)外界からの刺激に反応しているだけで、ほとんどのことは無意識に、規則的に反応しているだけであるということだ。(これを 文脈効果 というらしい)コントロールなどしていなく、入力が複雑な(相当数の引数な)関数(脳)がある程度規則的な結果を返していて、そこに自分の自由意志による副作用はない。いつもの店でいつものメニューを頼むと(入力が同じだと)至福を感じるし、そこに気分という入力が増えると味や幸福度は変わったりするもんだ。

何をするにつけても、自分が繰り返ししている行動に疑問を持つように訓練すべきだ。

と、ダン・アエリーが書いているように、人は繰り返ししている日常の行動についてなんの疑問も持っていない。それどころか「こうあるべきであり、こうする人間だ。」と錯覚して、あたかも自分の選択であるように振舞っている。人間はそんなに合理的じゃない。周りの小さな文脈に支配されていて、とても不合理な行動をしがちな生き物だ。人が操っていると知らない猫が猫じゃらしで遊ぶのと同じように、人間も脳の反応を体現しているだけだ。だが、人間はある程度「こういうときには〜する」という予想ができる。 予想通りに不合理 だからこそ、やりかたを掴めば少しずつコントロールできてくる。なぜ自分はこんなことをしてしまうのか?(もしくはこんなこともできないのか?)と疑問を持ち、その因果関係を理解していくことが大切だ。そんなことが書いてある本。

自分の行動をある程度ハックできることとできないこと

改めて読んでみて、この本は自分の行動の甘さをハックするために絶対役立つと感じた。 特にこれは自分もやってみようと思ったのは、 嫌な継続行為に良い報酬を与えて継続させる やり方だ。著者は強い副作用を伴う薬に対して、投薬したら映画を見るという自分の好きな行為を当てはめて継続できるようにした話が出てくる。これはなるほどな!と感じた。よく「これを頑張ったら自分にご褒美」というのを聞くが、それをうまく利用した継続率向上方法だなと思った。(よくよく考えてみると大抵のアンケートは基本的にこの考え方の上に成り立っている仕組みだ)

これまでの自分は自己啓発本に書いてるような誰かの成功例をトレースすれば、自分も目覚しい能力を開花する特性を持った人間であると勘違いしていた。当然、自分はとてつもない凡人なので何度やってみてもうまくいかない。これは頭では理解しているのに、今までできなかったことをノウハウだけ変えてハックしようとして失敗している。そうではなく、自分がやってみると実際はどんな問題が起きるのか観測して、それに対する策を考えないといけないスタンスが必要なのだ。自分の体が起こしてしまうある不合理な行動はハックできないのだから、失敗したときのための行動を変えていくのが重要だとわかった。

俺はブログを書ききると、ロンドン土産のうまいビールを飲めることにしたので書いている笑 ルールは絶対だ。

独自性欲求と帰属意識

胸に手を当てて聞いてみてほしい。飲み会や飯のとき、自分も含めた周りに「みんなと同じものを頼む人」と「みんなとは違う自分だけの何かを頼む人」がいるはずだ。俺自身は日本酒が大好きなので乾杯時(つまり一杯目)にも日本酒を頼むので「え?一杯目から?」とよく言われる、ゴリゴリの後者タイプだ。

前者をある集団における 帰属意識 といい、後者を 独自性欲求 というそうだ。俺の場合いは飲みたくて飲んでいるので違うが、しばしばこういう独自性欲求の行動における個人の満足度は低くなるそうだ。なぜなら「本当は〜を頼みたいけど、あえて自分はこちらを選ぶ」ことが自分への評判となることを期待しているかららしい。逆に社会性を意識しすぎて「本当は〜を頼みたいけど、みんなに合わせる」タイプも損をするらしい。なんとも不合理な話だが、よくよく考えてみると普段から本当によくあることだと思う。

この話はさらに厄介なことに、その後の他者の発言が自分の注文したものへの感想にも影響を与えてしまうところだ。意識と行動のマッチが起きてない注文状態に対して、他者の感想が混ざることでより自分の考えとは違う感想を抱いてしまう。4人で注文して3人がまずいといえばなんだか自分もまずく感じてきてしまうんだ。人間は本当に些細なことで流されやすいし、どうでもいいことで合理的な判断ができなくなる。無常だ。

この本で示していた一つの答えは、「注文は口に出さず、みんながいう前に、順番が来る前に自分の心の中で決めてしまうこと。もしくは先に宣言して変えないこと」だ。そうすれば他者に影響を受けなかった本当の自分の意見を楽しむことができる。一人飯がうまく感じるのはそういう部分に集中できるからじゃないだろうか。

映画「君の名は。」で糸守町を目指した三人は、そろって高山ラーメンを頼むのだが、本当は下のチャーシュー麺を食べたほうが幸せだったかもしれないのだ。

市場規範と社会規範

人付き合いと金の話だ。とにかく一つ言えるのはこの二つを別にしておくことがすべての成功の鍵であり、頭を悩ませる種であるということだろう。簡単にいえば市場規範とは金の分だけ見合ったものが手に入るという考え方であり、社会規範は義理、人情、恩のことだ。

本の引用がわかりやすい。

たとえばセックスを例にとると、社会的な状況では無料で手に入り、(理想としては)愛情に満ちていて心の糧になる。一方、売買されるセックスもある。これは要求次第で手に入り、お金がかかる。いかにも単純明快だ。家に帰ってきて50ドルで寝てくれという夫や妻はいないし、永遠の愛を証明する売春婦もいない。

そういえば最近流行っている逃げるは恥だが役に立つはこの二つの規範を行き来する男女の葛藤を描いているから面白いのだ。(ガッキーが可愛いだけ)

金の切れ目が縁の切れ目ということわざがあるが、これはその男女が「市場規範」で付き合っているからだ。(金にきちんとしないやつは愛想を尽かされる的な意味で使われることも多いが、本来は遊郭にくる金持ちが金がなくなると女もつかないという話からきている)本当の意味で社会規範として愛し合っている恋人同士には金でも切れない縁があるのだ。(音楽スターを夢見るニート相手とその相方など)そして社会規範は市場規範に変わらない限り、覆りにくいつながりであるのだ。

俺たちが世の中の会社を信用しているのは市場規範に基づいている。だから、仕事に対して金をもらっている。そして、仕事における信用が一瞬で崩れてしまう理由は市場規範であるからだ。だが人間は常に正しいことばかりできないというのが俺の考えだ。間違ってしまったときすべてを失わないように、社会規範は大切なものだと思う。市場規範によって得られる金は、ことごとく人と人のつながりに還元することが(つまり社会規範を深めるために使うこと)大切だという意味が少しわかってくる。

市場規範によって生まれる「上司、先輩、後輩」みたいなのをどれだけ「家族、友達、仲間」にしていけるか。損得勘定抜きで考えさせられる。


他にも人間の所有意識の変なところ(同じものでも自分のものが大切に感じたり、失いたくないと感じる)やプラセボと金額の関係、ゼロや無料に人間がどうしてこんなに弱いのか、十戒で正直になる、クレジットカードでなぜ使いすぎるなどなど楽しい内容がたくさんあるので是非読んでみるのをお勧め。

自分のどうしようもない不合理さを少しずつ理解して行動していくことでより幸せに生きていきたい。