道産子エンジニア

悲観主義は気分に属し、楽観主義は意志に属する

応用情報処理技術者試験を密かに受けていた話

今更なんだけどこういうのもまぁチャレンジしてみても面白いなって思って受けた。(三年ぶり二回目) 今年の目標の一つに何か資格を取るがあったので、年明けに申し込んでいた。

www.jitec.ipa.go.jp

そういえば情報系のwebなのに大文字入力強制とかクソすぎる のでさっさとうまいことやって欲しいと思う。 最近引っ越したので、生活インフラでこの手の登録フローを何度も行ってみたら実にいろんなパターンに出会った。

  • 〜で入力してください->登録ボタンを押してからエラー->必須項目がたりません
  • 〜で入力してください->登録ボタンを押してからエラー->入力に誤りがあります※〜
  • 〜で入力してください->入力すると勝手に変換される(じゃあ最初から指定するな)

まぁいろんな紆余曲折があって今の形なんだろうけどね。 人は間違えるので間違えやすさを許容した設計は本当に悪しき存在だなと思う。 ネイティブアプリは「審査」とか「標準化」というのが常に念頭に置かれているので、 比較的古いシステムでもこう言った間違いを少なくできているのはいいことだなと思ったり思わなかったり。

結果

まずは結果発表。

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合格でした。でも得点低すぎたのでツラい…合格に変わりはないといえど。 何よりストラテジ系の英語三文字系が本当に頭に入ってこなかった。(SLAとかUPSとかEVMとかCSFとか) 実務に近い部分は「あーこうやって呼ぶのか」くらいですんなり入ってきた。ということで取得までの道のりブログです。
※参考になるようなことは一つもないので頑張って独学してください

戦略

4/4に勉強開始
残り13日
平日1日3時間 -> 30時間(21時間) + 土日1日10時間 -> 30時間 = 60時間(51時間)(やばい
(ここはリアルタイムにメモしてた内容)

決めたことと結果

  • 毎日勉強 -> できてなかった
  • macで使える練習問題を見つける->なかった
  • できる!と信じる事->これは大丈夫
  • わからないキーワードを列挙して一気に調べる -> 途中で飽きた
  • 読みまくる->わからなかったところを読んだほうが良かった。参考書は文脈のない列挙の場合が多いので、問題を解いてからなぜそうなのか?を調べたほうがより文脈がはっきりしていてよく理解できた。
  • ウェブで過去問やりまくって100%にする -> 最終的に80%くらいだった

www.ap-siken.com

ぽちぽちしていたら昔、自動車学校通ってたときのことを思い出した。昔から暗記にはアプリで淡々と何度も繰り返すやり方結構好きだった。なんども反復練習するだけでその時は割と覚えられる。だいたい忘れるけど、またやると感覚が戻って来る。関係ないけど函館は自動車学校を自学(じがく)という。

この戦略の失敗は 「試験が近くなったらやる」 と決めたことだった。勝間和代は習慣化を 平準化 と呼んでいて、これにはめちゃくちゃ共感できた。

毎日の仕事量をなるべく平準化させる 勝間和代オフィシャルサイト

スポーツをする日を作るのではなく、こまめに歩く、掃除をする日を作るのではなく、原則毎日掃除をする、寝る時間も寝だめではなく、必ず6-7時間以上毎日寝るようにする、などです。 変動幅が大きければ大きいほど、生活も安定しませんし、疲れもたまります。そして、いろいろなことが先延ばしになります。 よく「習慣」という表現をしますが、習慣の正体の一つは 「平準化」 なのではないかと思います。

とにかくメリハリとかみたいな変動を起こさずに毎日やる。波を作らない。これって結構難しい。でもとっても大切な考え方だなって思う。 Githubで毎日草を生やすのがどうのこうのって話あるけど、食事、睡眠以外で毎日続けられることって本当に少ないんじゃないだろうか。 単純に24時間しかないので、どうやって分割して、どうやって死ぬまでにやりたいことをどんどん消化していくのかということでもある。 厳しく自分を律するのって慣れないと難しい。

試験の意味

会社によっては給料アップとかあるし、手当出るとかもあるけど、別にそんなもののためにやったわけじゃない。資格とか本当に(持っているだけでは)意味がないと今でも少し思っている。けど取得したときのなんとも言えない嬉しさ、達成感を感じるのもまた事実だ。試験ではプロセスは意味を持たず、できるのかできないのかという無機質な結果だけが残るところがいい。今回やってみていつもと少しだけ違ったのは、「資格なんて役に立たない」わけではなく「役に立てることもできる」という実感だった。ふと思い返してみると、論理値計算、チャート、フローなどの図をスッと実装するときに書いている自分がいる。試験に出ていることは先人の知恵だし、みんな無意識に「技能」を身につけているだけで、それを明文化したものが試験で問われている。 試験という仕組み自体に意味を見出すことは難しいが、狭義の「求められている問題を解決する能力」だとすれば意味はあるはずだ。

本当に意味がなさそうだなと思う部分

それでもやっぱり試験の仕組み上生んでしまう意味のないことはあると思う。キーワードの文字を入れ替えた問題とかいわゆる「ひっかけ問題」だ。どっちだっけ?的な曖昧さをなくすのが目的なのかもしれないが、仕事ではわからないならちゃんと調べて正しく使うのが当たり前だし、やり方が決まっている問題を解くのは技術といえるんだろうか。

ではなぜこんなことをするんだろう

この手の最難関国家資格は司法試験だろうけど、司法試験に受かった人と情報処理試験に受かった人ではなぜだか比重が違うように感じてしまう。 特に人間は外的要因のない自分自身だけの決め事を本当に守れない癖があると思う。自分の決めたことをきちんと達成することって大切なのでもっとちゃんとしたいというのが一番の目的。ある意味でまだ自分は自分の脳をうまく制御できていない。やると言ったのにやらなかったことが本当に多くて悲しいし、情けない。いろんな理由は付けられるし、諦めるのは簡単だし、自分しか知らないので誰も責めることはない。自分ももしこの試験に落ちていたらこんな記事を書いていなかったかもしれない。そう思うと途端に自分が信じられなくなって、不安になる。普段の自分はいかに「何かに強制されて」行動しているかということだ。そうならないためにも、コードを書くことや趣味のような活動をすることや自分で決めた課題と締め切りをこなしていけるように平準化していこう。

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次は秋のネットワークスペシャリストを狙おうかな。技術の成熟度が高いのでネットワークとデータベースについては体系的に学んで(復習して)おいて損はないし。