道産子エンジニア

悲観主義は気分に属し、楽観主義は意志に属する

日々のお守りを見つけると気楽になる

雨の日、いつものように何気なくバスに乗っていて、ふと運転席のお守りを見つけて思ったことがある。お守りは願掛けというか気持ちの問題で、何かありがたいものだと一度も思ったことがない。そういう願いを信じないとか無関心というわけではなく、お守りの概念には見た目に隠れている意味があると思っている。その意味とうまい使い方について書く。

 

人生は短く、人は生きるのに大変な苦労をしている。人は一人では生きていけないので誰かとうまく寄り添っていく。人が厄介なのは寄り添っている人の心や体、未来について思いを馳せて、「良くあるように」と願うところだ。俺も無意識にそう願う癖がある。未来予測が苦手な野生動物ではそんなことないはず。

 

自分のことで精一杯なのに、誰かへの願いを悶々と考え続けるのは苦しい。

 

だからお守りをあげるのだ。

 

願いは目に見えないし、自分だけが苦しい。だからお守りを使って相手に願っているという苦しさを気持ちごと受け渡す。そうすればもらった人は嬉しいし、目につくたびに何かを思い出す。

 

お守りは神の御加護を受ける手形でもなければ、願いの苦しみを神へ移譲するものでもない。人が人を願い続ける苦しさをわかりやすく、気持ちよく受け渡すためのものだ。

 

そして良いことがあれば神のおかげでお守りが効いたとか悪いことがあってもお守りが効かなかったというように、自分や相手ではない何かのせいにできるところが良い。

 

願い続けるのは苦しいから受け渡す。そして自分は忘れるということが大切。だからお守りはいい。渡したお守りのことを覚え続けている人はまずいない。返す人もいない。

 

言い方は悪いのだけど気楽になるためにお守りはあると思ってる。

 

マンガ、亜人のセリフの受け売りなのだけど、本当に誰かのことを大切にするというのは、気持ちの問題ではなく行動に移し実現することだ。

 

さて、お守りについてどうのこうと言いたいわけではない。お守りの役割について考えていると、気がついたことがある。

 

何か不安なことを何かに変換して保存し、忘れておく行為は身に覚えがある。一番身近なのはメモを取ることだと思う。メモを取ることであとから見返すことさえすれば忘れられる。

 

このフォーマットはとても重要なライフハックだと思う。

 

本当に大切なことのみを選択していくには、たいして重要でないことを頭から抜くことが必要だ。

 

俺は日々のあまり重要でないことを忘れるためにすぐ行動をする。本当につまらないことでもできるだけ早く頭から追い出すようにする。

 

結婚式の招待状の返事を忘れる前に即出したり、一年後の携帯の解約日をカレンダーに即入れるとか、このまま置いておくと悪くなる野菜を先に調理しておくとかだ。

 

俺にとってこういった、あとからやっとけば良かったー!ってなることや日々目についてはあーやらなきゃやらなきゃ!って思うことを徹底的になくしている。

 

本当に大切なことは行動し続け実行する、たいした重要でないことは瞬発力と思いやりで忘れる。これがお守りというものの本質だと思っている。